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まり先生の歴史診察室 飛鳥・奈良・平安時代

日本初の御霊会はインフルエンザ鎮めだった!? まり先生の歴史診察室

更新日:

 

冬になると大流行するインフルエンザ。
皆さんのお子さんたちの学校でも学級閉鎖が起きたり、会社の同僚が1週間ほど休んで仕事が降りかかってきたり、とても他人事ではないでしょう。
もちろん歴史的に見ても付き合いは古く、日本のとある祭祀にも関わっておりまして……。

それは御霊会です。
御霊会ってナンジャラホイ? と「???」になられた方へ、先にざっくり申し上げますと、不慮の死を迎えた人の魂を「おさまってくれーぃ! とにかくおさまってくれーぃ!」となだめることです。

なんせ、その対象がなかなか危険でして、「政変でハメられ、悲運の死を遂げた人物」が多いのです。
恨みを抱えて亡くなられた人々の怨念によって、疫病や災害を起こされないよう祈り、更には「おさまってくれーい! とにかくおさまってくれーぃ! ついでに我々を守ってくれーい!」とまで願ったのです。

キングオブコント王者・ライスさんのコントをパクってすみません。そしてフザけてすみません。一応、ウィキペディアさんからも引用させていただきますと、以下のような説明になります。

御霊会(ごりょうえ)とは、思いがけない死を迎えた者の御霊(ごりょう)による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であり、御霊祭とも呼ばれている。
御霊自体は本来はミタマの意であった。平安時代、不慮の死を遂げた者の死霊(しりょう)=怨霊(おんりょう)へと意味が転化する。そして、天変地異はすべて御霊の所業と考えられ、御霊に対する信仰が出来上がった。また、平安時代には、863年(貞観5年)5月20日、神泉苑において御霊会が行われた。(ウィキペディアより引用)

てなわけで本題へと参りますね♪

 

最初の御霊会はインフルエンザ鎮めだった!?

記録に残る最も古い御霊会は863年(貞観5年)に神泉苑で行われました。
このとき祭られた6柱は早良親王をはじめとした皇族、貴族など(六所御霊)。「貞見の御霊会」と言いまして、なぜ実施されたのかと申しますと、その原因は『今茲春初咳逆成疫。百姓多斃。』(日本三代実録より)だったからと書かれています。
現代語にしますと『この年の春、正月からの咳の出る病気が悪性の伝染病となり、多数の人が倒れた』からとなります。

これ、皆さんもお察しの通り、インフルエンザ流行の可能性が高いでしょう。
感染力などについては過去記事『米国発なのになぜスペイン風邪?』でも取り上げましたので、今回は病原体にスポットを当ててお話させていただきますね。

まず、インフルエンザという名前自体は、16世紀のイタリアでつけられたとされています。
当時は病原体という概念がなく、汚れた空気(瘴気)によって発生すると考えられておりました。毎年冬になると流行し、春に収束を繰り返す――よって天体の運行や寒気の影響で起きると考えられ、『影響』を意味する『インフルエンザ』と名付けられのです。
このモヤモヤした考えが中世的で素敵♪

 

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原因はウイルスだけど、同名の”菌”も存在してややこしい

当然ながらインフルエンザの原因は瘴気ではなくウイルスです。
ウイルス自体、ものすごーく小さいので、その研究が始まったのは19世紀末のこと。インフルエンザウイルスが発見されたのは1902年でした。
ただし、まだこの時は発見されただけで、インフルエンザの原因ウイルスとは判明してはおりません。

インフルエンザウイルスの電子顕微鏡写真/wikipediaより引用

ちなみに我らが北里柴三郎博士が1892年、インフルエンザ患者の気道から細菌を分離し『インフルエンザ菌』と名付けました。
しかし、これは結果的に別モノでした。インフルエンザ患者は身体が弱っているため他の病気にもかかることがままあり(二次感染)、間違えたのですね。
ややこしいですが、地球上にはインフルエンザウイルスとは別にインフルエンザ菌も実在しており、「インフルエンザウイルスによるインフルエンザ」の二次感染としてよく見られるのです。※インフルエンザ菌自体は、気管支炎や中耳炎や肺炎などの原因となり、いわゆる風邪の原因菌の1つです。このうちb型(ヘモフィルスインフルエンザb型)は乳幼児に肺炎や髄膜炎、敗血症など重篤な症状をおこす場合があるので、平成25年から定期接種になっております。

その後、1933年になってインフルエンザウイルスがインフルエンザの病原体だと判明、1940年には抗原性の異なるインフルエンザウイルスが発見されて、こちらがB型と名付けられました。先に見つかった方がA型です。ちなみにC型もあります。
発見された順から分かりますようにA型が1番流行&重症化しやすい、ついでB型がソコソコ流行り、C型はマイナーです。

さて、ここからワクチンと治療薬の話と続く予定でしたが、長くなりすぎるので病気の話はココまで!
御霊会の話に戻りましょう。

 

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【阿衡(あこう)の論議】をキッカケに宇多天皇のお気に入り

今日ある上御霊神社と下御霊神社には前述の六所御霊(一部メンバーチェンジ)に加えて「吉備真備」と「菅原道真」が祭られるようになりました。

2人追加されたので六所から「八所御霊」となっています。
現在は学問の神様として親しまれている『菅原道真』ですが、元々は祟りをなす怨霊として恐れられ、御霊として祭られ神様になったんですね。

菅原道真は平安時代初期、学者の家に生まれました。
幼い頃から詩歌の才能を見せ、18歳で文章生(官吏制機関の学生)となり、26歳で方略試(役人になるための最難関試験)に合格。学問の神様だけに、ぶっちぎりのスコア合格! かと思いきや中の上くらいの成績だったそうです。まぁ230年間で65人しか合格しなかった試験なので、受かるだけでもすごいですけどね。

その後は文章博士や讃岐守など家柄に応じた官職についていた道真ですが、【阿衡(あこう)の論議】をキッカケに宇多天皇のお気に入りとなります。藤原氏の横専を苦々しく思っていた宇多天皇が道真を重用し、要職を歴任させたのです。

更には宇多天皇の息子・醍醐天皇の時代になっても道真は出世を続け、899年には右大臣にまで昇り詰めますが、朝廷への権力集中となる改革を嫌った一派に
『道真は醍醐天皇を退け、娘婿である斉世親王を天皇にしようとしている』
と告げ口をされてしまいます。
道真と対立していた左大臣・藤原時平の陰謀と言われていますが、ともかく術中にはまった道真は九州の太宰権帥へ左遷となりました。そして追放から2年後の903年、失意のうちに現地で死亡。死因は持病であった脚気の悪化と言われております。

上御霊神社/wikipediaより引用

 

930年に清涼殿落雷事件が! 慌てふためく朝廷が……

さて道真が死んで藤原時平がこの世の春を謳歌したかと言いますと、道真の死から6年後の909年、39歳の若さで病死してしまいます。
923年には、時平の甥にあたる東宮・保明親王が21歳の若さで亡くなり、930年には内裏にある「清涼殿」に雷が落ちて、道真の左遷に関わったとされる貴族をはじめ多数の死傷者を出しました。
まだ終わりません。
その様子を見てショックを受けた醍醐天皇が3ヶ月後に崩御されてしまったのです。

清涼殿落雷事件(『北野天神縁起絵巻』より)/wikipediaより引用

こうなると、もう朝廷としても黙っていられません。
完全に『道真の祟り』と思い込み、その名誉を回復するため、太政大臣の位を贈ったのです……って、死後30年もの期間があれば、早死にやら天災やらあっても不思議ないと思うんですけどね。まぁ、それは現代の感覚であって、当時は本気でガクブルされたのでしょう。

ちなみに清涼殿落雷事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられたようで、祟りを鎮めるため「火雷天神」が祭られていた京都の北野に北野天満宮が建てられたそうです。

以降100年ほど、大災害が起きるたびに道真は祟りの対象としておそれられましたが、やがて祟りの部分は薄くなっていき、優秀な学者、役人であった面がクローズアップされ『学問の神様』として信仰されるようになったのですね。
大学受験で日本史を選択している皆さま、いい機会ですから、この辺のおさらいをしておいてください。案外とこういうところが出たりして……♪

余談ですが、インフルエンザワクチンを注射されると接種箇所が腫れることないですか?
そんなとき私は、腫れた部分をおさえ「くっ、奴らの仕業か……鎮まれ左腕よ!」と中二病ごっこで気を紛らわしております。
結構楽しいですよ。

文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
本人のamebloはコチラ♪

【編集部より】
アマゾンの戦国本ランキングで(一時)1位に輝いた、まり先生の初書籍『戦国診察室 お館様も忍びの衆も歴女医が診てあげる♪』が発売中です!

 

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【参考】
御霊会/wikipedia 御霊信仰/wikipedia 神泉苑と御霊会-禁苑の変質とその契機- 菅原道真/wikipedia 知識の泉 藤原時平/wikipedia

 




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