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大学3年生でニートとなった仙台藩3代目の伊達綱宗の隠居の理由

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東北楽天優勝記念で連投中の仙台・東北ネタ第2弾です。

「三代目のジンクス」というのがあります。

 初代は自分の力で偉業を成し遂げたのだから、当然偉大な人物と評されます。

2代目は偉大な初代の背中を見て、初代に追い付け追い越せとばかりに努力するため、それなりの結果を残します。

しかし3代目はどうだろう。自分の努力はなくとも初めから初代の恩恵を受けて育ち、自分の意志とは関係なく常に初代の栄光がプレッシャーとなって背中にのしかかっている。

もちろん立派な三代目もたくさんいるが、古今東西問わず、初代の築いた栄光が3代目あたりで疲弊して崩れていくというパターンが多く見られるのは、偶然ではなく、歴史の「必然」なのかもしれません。

実際、幕府や老舗のお店や、どこぞの国の偉い人に至るまで、この「3代目のジンクス」が当てはまるケースは数知れません。

 19歳で3代目、2年で隠居

そんな中、なかなか破天荒な3代目に出会いました。

 それは仙台藩第3代藩主、伊達綱宗です。言うまでもなく初代はあの伊達政宗公である。3代までの墓所が仙台の瑞鳳殿というところにあり、観光名所の一つとなっています。


瑞鳳殿 / sendaiblog

そこで伊達3代についての解説を読んでいると、

「東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に『独眼竜政宗』の異名を轟かせた」初代政宗、

「政宗公の治世を引き継ぎ、…藩の基礎固めをなしとげ」た2代忠宗、

と書かれているのに対し、3代綱宗だけが少し様子が違います。

 

仙台藩3代目伊達綱宗(wikipediaより)

仙台藩3代目伊達綱宗(wikipediaより)

綱宗は「19歳から2年ほどの治世の後、故あって幕府から逼塞隠居を命じられ」とある。つまり綱宗は21歳で隠居生活を始めたというのだ!

それも当時まだ2歳だった長男の亀千代(のちの伊達綱村)を第4代藩主にして、である。

藩のことは2歳の4代目に託して、自分は21歳以降、江戸・品川で書画や蒔絵、和歌などに明け暮れる優雅な隠居生活をなんと72歳まで送ったという。つまり現代で言うところの大学3年生にあたる歳から72歳までずっと遊んで暮らしていたということになります。今こんなことをしていたらニートだの穀潰しだのと言われかねません。うらやまし……。

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 引っかかるのはなぜ隠居を命じられたのか?

解説には「故あって」としか書いていない。そこで調べると綱宗という人は酒癖の悪い人で、酒色に溺れていたことから周囲の人物が政治に干渉するようになり、やがて不作法の儀によって逼塞隠居となってしまったという。

俗説ではあるが、吉原の花魁高尾太夫にかなり入れ込んで、毎晩のように高尾のもとに通ったとも言われています。

 

ここで綱宗の名誉のために記しておくが、実は綱宗の母親貝姫は公家の娘で、姉の逢春門院隆子(おばさん)は後水尾天皇の妃で後西天皇を生んでいます。

つまり綱宗と後西天皇はいとこの関係でした。幕府は伊達家と天皇家との密接な関係をいぶかしがっていました。そこでわざと綱宗はバカな真似をして藩を守ろうとしたのではないかという説もあります。

 

「天下くれ~」by政宗(絵・霜月ケイ)

初代の「天下くれ~」が3代目にまで?by政宗(絵・霜月ケイ)

 

隠居後の長い余生を送った綱宗は、あらゆる芸に通じてすぐれた作品を多く残しています。

伊達3代がその後同じ場所に墓所を作り眠っているのを見ると、綱宗は決してただの酒と色に溺れただけの藩主ではなかったのだろうと思えます。

 

(参考文献・資料)

仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿 館内案内・パンフレット

「宮城県謎解き散歩」 吉岡一男 新人物往来社文庫 2011年



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