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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語その1】 30歳で主君を織田信長に臣従させた説得力【御着城の決断】

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来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の主役黒田官兵衛如水。福岡藩祖でもある官兵衛の百物語を、福岡県在住のライターFrcoDonが紡いでいきます。
(毎日連載予定)

天正3年(1575)7月、播磨国(兵庫県)の名族赤松氏の分流を誇りに生きるのが大名・小寺家であった。
黒田官兵衛はあるじの小寺政職(まさもと)に仕える重臣の一人。まだ大名でもなかった。

このとき、小寺の居城・御着(ごちゃく)城(姫路市)の広間には、小河三河守や江田善兵衛ら古参の重臣が並び、そのなかに30歳の黒田官兵衛もいた。地方の一武士が日本史の本流へとみずからひき入れることになる「御着会議」だ。

御着城跡(姫路市)

御着城跡公園内にある黒田官兵衛の顕彰碑(姫路市)

席上、主の小寺政職が「今後、天下を獲る者は誰か」と重臣に対して発した。播磨西部のすぐ西隣の備前国(岡山)まで、毛利の勢力が伸びてきており、「接触」は時間の問題だった。
この問いに、官兵衛は「織田信長」と迷う事なく応えて返した。
小田原の北条、駿府の家康、越後の上杉など諸家の情勢を官兵衛は分析した上で、毛利と織田が残るとした。

しかし、そのうちの毛利は中国11か国を征する大領主であり、叔父である勇猛な吉川元春と知略勝れた小早川隆景、通称「両川」に支えらているが、そ の主たる「大将毛利輝元 天下の主たる器量ならず」と官兵衛は一刀両断にしている。(『黒田家譜』)

一方、桶狭間に今川義元を倒したことにはじまり、会議の2か月前の5月には、徳川家康との連合軍により武田勝頼を長篠の戦いで蹴散らした信長の戦いぶりは「対する敵なかるべし(敵対してはいけない)」と述べ、「その上、すでに天下を獲る条件に必要な京都などの畿内圏を領有している」と説いた。

主・政職も居並ぶ重臣も「もっとも」と同意し、早速、小寺家を代表して官兵衛は岐阜城の信長を訪ねることになる。
訪ねるに際して、小寺姓を与えられ、ここから天正8年(1580)に小寺政職が織田方から離反するまでの5年ほど、黒田官兵衛は「小寺官兵衛」と して、戦国史に名を刻んでいくことになる。

百物語2へ続く

FrcoDon・記(福岡県在住)

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参考文献 小和田哲男『黒田如水』(ミネルヴァ書房)、渡邊大門『黒田官兵衛 作られた軍師像』(講談社現代新書)




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