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竹森次真(黒田二十四騎画帖、福岡市博物館蔵)

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

黒田二十四騎が一人・竹森次真が敵将の首級をゆずる【軍師黒田官兵衛百物語8】

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黒田二十四騎とよばれる官兵衛の時代から黒田家を支えた家臣団がいる。最も有名なのはのちに離反し、大坂の陣で豊臣方として活躍した後藤又兵衛基次だろう。

この中に数えられる竹森新二郎(新右衛門次真=つぐざね)は、前々回の6回目で取り上げた羽柴秀吉による毛利氏攻略の緒戦となった天正5年(1577)11月の佐用城攻めでのエピソード(黒田家譜)がある。

竹森次真(黒田二十四騎画帖、福岡市博物館蔵)

竹森次真(黒田二十四騎画帖、福岡市博物館蔵)

 

佐用城攻めでは、三方を厳しく固め、一方の囲みをわざと緩めておくという攻城体制をとり、秀吉軍の先鋒となって官兵衛は指揮をとった。

おりしも、以前、秀吉に仕えていたが失敗があって、浪人の身分でいる平塚藤蔵という侍が官兵衛を頼ってきた。秀吉への取りなしを願いたいというのだ。

ただでは取りなしも難しいと考えた官兵衛は、「今夜、三方から城を攻めあげる。その時に、囲みを緩くした一方で隠れて待て。そこへたまりかねて、城外へと逃げ出そうと堕ちて来る者を討ち手柄にしろ、その手柄をもって上様へとりなしてやる」といった。

夜半、藤蔵が隠れていると、秀吉軍の猛攻が始まった。雑兵が緩い囲いを目指して堕ちていくのを見捨て、万を持して待つと、将僚級のいで立ちをした侍が、6人の供回りを連れて郭を駆け下ってきた。

藤蔵はここぞとばかりに飛び出し、7人の敵に向かい槍を突き立てる。しかし7人を相手に、逆に追いつめられる。そこへ、竹森新二郎が踏み込み、敵の一人の腹に槍を入れ斃すと他の武将たちは逃げていった。

新二郎が倒した侍とはなんと城主の福原助就だった。
新二郎は、藤蔵に助就の首級をあげるようにいうが、藤蔵は傷もうけ、性根も尽き果てた態で、動くことができなかった。新二郎は変わりに首級をあげ、藤蔵の手柄として渡した。

このことが陣中でうわさとなり、さすがは官兵衛の家来がやることだと評判になった。
藤蔵は、再び秀吉に仕え、後には美濃に一万石を与えられ城持ちとなっている。関ヶ原の合戦では西軍で、大谷吉継とともに小早川秀秋らの「裏切り」を少ない兵で止めた平塚為広である。

9回に続く

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FrcoDon(福岡在住)・記

 




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