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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

LINEも伝令も不要!竹中半兵衛との無言のコラボ【軍師黒田官兵衛百物語 16】 

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別所長治が8千の兵を率いて立てこもる東播磨の三木城を、羽柴秀吉の軍は7千5百の兵で取り囲んだ。「三木の干し殺し」などと後代に言われることになる、天正7年1月15日の開城まで、約2年に及ぶ攻城戦だ。(前回

三木城は美嚢川の断崖を利用した堅城であり、一般的に力攻めの攻城には3倍の兵力が必要とされることから、秀吉と官兵衛は三木城を囲む付城から、ゆるゆると敵兵が飢えていくのながめてを待ちながら、周囲の支城を各個撃破していく以外、勝利する方法がなかった。

たまに、三木城から押しだしてくる、別所軍との間で野戦がくり広げられた。別所軍の士気は高く、野戦 は、ほとんどの場合、秀吉軍が敗退していた。

三木城

ある日、本営の平井山の付城から三木城をながめていた秀吉が、三木城をのせた釜山の麓の影に5百ほどの兵が並ぶのを見つけ、側にいた竹中半兵衛に「またしても、あれは敵兵か」と聞いた。

釜山の麓に突出してくる敵によって秀吉軍はたびたび痛撃をうけていた。

「今日は勝つでしょうと」半兵衛は応えた。

あの5百の兵は官兵衛殿の兵です。あの山影を戦略的要地と気づき、兵を隠すと考えつくのは、官兵衛殿か自分のほかはない。伏兵をあの山影に置き、三木城から別所軍が出てきたところを、別働隊で軽く襲い、逃げる。

別働隊が逃げるところを追う別所軍を伏兵で襲う。

そうする と、今度は官兵衛殿の伏兵に追われた別所軍が、この平井山近くまで逃げてよせてくる。後は、わたしが兵を出し別所軍を向えて蹴散らす、というわけです。

官兵衛殿は打ち合わせもせず、見ていればわかろう、とどめの兵をたのむぞと、もの言わず、あそこから私に指揮を飛ばしているというわけです。

 

果たして、別働隊の別所軍への軽襲、伏兵の襲撃、平井山本営直下へ敗走してくる別所軍を、半兵衛が向え討つという、半兵衛の読み通りに戦いが展開し、その日は秀吉軍が一勝をあげた。

 語ることなく、気脈を通じ敵兵を追ったという、戦国時代を代表する二人の軍師、官兵衛と竹中半兵衛の異才を語るものとして「黒田家譜」に伝えられている。

 

つづく

 

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FrcoDon(福岡県在住) 記・写真

 

 

 




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