日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

荒木村重(富永商太・絵)

スポンサーリンク

黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

荒木村重の反乱は無謀か?当時の状況を図にすると意外と合理的な決断【軍師黒田官兵衛百物語19】

更新日:

天正6年(1578)10月、織田家中に衝撃が走った。(前回
信長が信頼を置き、摂津国(大阪府西部・兵庫県東部)の支配を任せた有岡城(兵庫県伊丹市)の荒木村重が突然信長に反旗を翻したのだ。猟犬のように全国各地を転戦させられている秀吉はじめ織田家の生え抜き武将と違い、荒木村重はかなり優遇されていた。

にも関わらず、まさかの反乱に信長は驚き、かつ穏便にすませようと噂が出た段階で明智光秀らを送り、「母親を人質に出せば一切を許す」という甘い条件を持ち出した。
しかし、村重は「そんな謀反など考えていません」と答えて人質要請を無視。そしてやはり謀反を起こした。

歴史の結果を知るものとしては村重の決断は愚かであるが、当時の状況を考えるとそうともいえない。

小寺官兵衛地図

河内国の石山本願寺には一向宗徒が健在。備前以西は毛利家の権力下にある(このとき、備前の大名の宇喜多氏は織田側への転身を決めていた模様だが、表面上は毛利との同盟関係にあった)。
そこにはさまれた播磨も最大勢力の別所氏が離反。あとは摂津の自分が反織田になれば山陽道は反信長一色となる。さらにそのトップには毛利に亡命している室町将軍という大義もある。

信長が甘い条件を持ち出したのも、オセロのように一気に局面がかわる可能性をみていたからだろう。

村重離反で、最も深刻な状況に陥ったのが、東の村重、西の毛利と挟まれる形になった秀吉軍である。囲んでいるはずがいつの間にか囲まれてしまったのだ。

主を説得にいく官兵衛に罠

主の小寺政職まで反織田方の旗を立てたという情報をえた官兵衛は、政職を翻意させようと、政職居城の御着城(姫路市、姫路城近く)へ乗り込む。

官兵衛の家来の中には、政職が荒木村重に味方し、信長に弓を引くことを決めているのであれば、政職は官兵衛を斬るかもしれないと、御着城乗り込みに反対する者もいた。
それどこから官兵衛の居城である姫路城を政職が攻めるかもしれない。

逆に、御着城内の反官兵衛派の小寺家の重臣たちは、官兵衛が攻めてくるかもしれないと緊張した。

「黒田家譜」によると、そうした状況の中、 官兵衛は、「下人わずかに召し連れ」御着城におもむき、主である政職の説得にあたる。政職は「荒木村重の誘いで織田を裏切ることを考えている。だが、仮に村重が再び信長に味方するよう説得してくれれば、わが小寺も織田方に戻るであろう」と応じる。村重と小寺はやはり通じていたのだ。

ならばと、官兵衛は既に織田軍との戦闘を決して準備を整える、荒木村重の居城・有岡城を目指す。

すでに、信長から「是非に及ばず」と村重に対して再三使者を送ったが説得に失敗。信長も最後の使者として官兵衛を指名した。

この時、小寺政職は、官兵衛が消えるやいなあや村重に密使を送り、「姿をあらわした官兵衛を斬ってくれ」と頼んだという。ドラマじみた話で、もちろん司馬遼太郎の『播磨灘物語』でもドラマチックに描かれる。だが、この官兵衛殺害依頼も、当の黒田家がまとめた黒田家譜にも載るので、「出来過ぎの話」と捨てられないのだ。

つづく

スポンサーリンク

FrcoDon・記

 




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-黒田官兵衛百物語, 黒田家, 名脇役
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.