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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

官兵衛が行方不明! 信じて待った黒田一門 【軍師黒田官兵衛百物語20】

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二十四騎起請文

まずは上記の古文書画像を見て欲しい。

福岡市博物館が所蔵する官兵衛幽閉の危機に団結してあたることを誓う黒田二十四騎を中心とした起請文だ。

荒木村重を説得することで、主の小寺氏を織田方に引き留められるとの「条件」を受けて、摂津・有岡城(伊丹市)の村重のもとに向かった(前回)。

 

しかし、そこで官兵衛は、逆に捕らえられ幽閉されてしまう。

幽閉された官兵衛だが、村重は「幽閉しました」などと連絡をするはずもなく、織田信長は村重に同心したものとして激怒する。

秀吉は、官兵衛叛意か、村重の手によって殺されたものか、はたまた、囚われているものか、確たる情報を手に入れることができないなかで、あわてるばかり。

 そうしたなか、姿を消した理由はともかく、当主不在となった黒田一門は、隠居の身にあった官兵衛父・職隆がにわかに統率し、かつ善後策を練る必要に迫まられる。

「天下布武」の流れは止められない

 前回ふれたように、直接の主・小寺職隆も村重に同心しているが、それでも、なお、織田信長への節義を通し、主家とたもとをわかって織田方であることを続けると決すれば、仮に有岡城中で官兵衛が生きていたとしても、斬られてしまう可能性が高い。

この際、黒田一門も主家・小寺に従い、反織田の旗を立てるべし、と決すれば、織田への人質として近江長浜にある、職隆にとっては孫である松寿丸・後の黒田長政が斬られることになる。

いずれに決しても、息子か孫のどちらかを見捨てることになるという選択に、職隆は迫られる。

しかし、職隆は決した。織田方としての節義を通すことに。

この決断は、節義を通すということと共に、歴史の流れとしては、織田信長による「天下布武」の流れは止められないという判断があったことからだ。一門を統率する者のとして、つらくはあるが、織田家中に あって、羽柴秀吉の与力軍師として一門の名が世に出るの基を作った官兵衛の命を絶つことを覚悟しての決断でもあった。

FrcoDon 文
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つづく




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