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絵・富永商太

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

荒木村重の反乱は官兵衛の「裏切り」が原因か【軍師黒田官兵衛百物語21】

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 好評の【軍師黒田官兵衛百物語】が再開です!福岡在住のFrco Donさんの連載です。前回はこちら「官兵衛が行方不明! 信じて待った黒田一門」

官兵衛閉じこめた村重は悪くない!

 城主・荒木村重が逃亡してしまったことで、織田信長は、有岡城中に囚えていた600人を超える女こどもを中心とした人質について、まず、「信長公記」が絶世の美女だったと、わざわざ語る、村重の妻・ダシをはじめ、女御衆を尼崎郊外の七つ松に立てた杭に縛りつけ、槍突きにしたのち、残りの者どもについては市中を引き回したうえ、ひとりのこらず斬らせてしまうのでした。

 この悲惨な結果を見ることになる、信長への謀反を村重に引きおこさせることになった理由は、いろいろと語られるところですが、官兵衛が村重を裏切ったところに、最大の理由があると思われます 。

官兵衛「俺が村重から秀吉に乗り換えたばかりに」(絵・富永商太)

官兵衛「俺が村重から秀吉に乗り換えたばかりに」(絵・富永商太)

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最初から官兵衛WITH秀吉ではない

 官兵衛を扱う評伝や、小説、今回のNHK大河でもそうですが、はじめから羽柴秀吉と官兵衛は深く関わりがあった印象を受ける語り方をされていますが、もともと、信長へ官兵衛を引き合わせたのは村重でした。

 織田家では、引き合わせ(取り次ぎと言いますが)をおこなった者が、引き合わせた者の、その後のめんどうを見るならいでした。畿内から播磨・備前と中国地方への玄関口を所領にする村重は、播磨の官兵衛を信長へ取り次ぐことで、毛利氏が十カ国を領有する中国地方の半分をわが手にできると思っていたのです。

 織田家では、切り取った国の半分は、好き勝手という習いもまたあったのです。

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戦国時代のルール「取り次ぎ」を秀吉が破った?

 ところが、いつの間にやら 、近江長浜に城を持ち、北国方面の切り取りをおこなっていた秀吉がしゃしゃり出て来て、官兵衛と手を組み、自分のものになるはずの中国地方を好き勝手にやっている。

 村重は、こうした官兵衛の裏切りともいえる状況を許すことができなかったに違いありません。

 そうして、面白くなくなっているところへ、 毛利の軍師として調略に諸国を飛び回っていた安国寺恵瓊あたりがあらわれ、「さようさよう、村重殿のものになるはずであった播磨と備前のこと、織田にこのまま加担しておったところで、裏切りものの播磨の策士・官兵衛と秀吉の好きにされることに変わりはない。ここで、ひとつ、どうであろう、毛利にお味方され、官兵衛と秀吉から播磨・備前を取り戻しなされ」とそそのかしと考えることができるでしょう。

 村重にしてみれば、捕らえて土牢に押し込めたままの官兵衛に対して、もともとを思い出して「ちゃんと、ワシの手伝いをせい」と言いたいところだったのです。

Frco Don・記

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「22回宣教師も大迷惑の村重の乱」につづく




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