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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師・黒田官兵衛百物語26話】えっ、く、糞になった?!有岡城主荒木村重のその後

更新日:

 

名古屋市の尾張徳川家の宝物を保存する「徳川美術館」には、とある中国の茶わんが残されています。その茶わんの銘は「荒木」。そう、有岡城主だった荒木村重です。

「唐草文染付茶碗 銘 荒木」明時代 16世紀
 
戦国武将荒木村重が所持したことから「荒木」の銘がつけられた茶碗。見込と外部側面に呉須で唐草文が描かれているが、高台を除いて内外にかけられた乳白色の釉のため文様は不鮮明である。「荒木高麗」とも呼ばれてきたが、中国南部産の呉須絵陶器であろう。千利休、徳川家康の手を経て、尾張家初代義直に伝えられた。大名物。
 
徳川美術館HP解説より

 

 

既にふれましたが、荒木村重は有岡城から、嫡子・村安(村次とも)が籠る尼崎城に逃れます。尼崎城では、有岡城に残っていた家臣らが村重の首と引きかえに、有岡城中に捕らえられている女子どもの命がかかっていることを伝えに来ます。

村重が覚悟を決め、首を差し出せば、有岡城の女子どもは救われたのですが、村重は更に華隈城へと奔ります。信長の命を受けた池田信輝が華隈城を襲うと、遂には、安芸へと亡命し、毛利氏の庇護のもとで生き延びる道を村重は選んでしまいます。

村重が尼崎・華隈と逃げ ているあいだに、その内室のダシと弟妹など、村重の近親36人は捕らえられ、市中を引き回されたのちに、六条河原で処刑。重臣の妻子・郎党、奥に使えていた女御など120人は磔刑に処され、残りの500人もことごとく斬られました。

この惨劇を無視ししつつ、村重は逃亡の果てに一人、命を長らえるわけですが、明智光秀に襲われた信長が、本能寺で命を絶ったのちに、「道糞」という雅号で堺の街に茶人の姿で現れます。

道糞として甦った村重のことを秀吉が御伽衆として召し抱え、「道薫」と改めさせたとものの本にはあります。村重は、その後、天正14年(7年とも)に52歳で没するまで、四代茶会記の一「津田宗及自会記」に8回その名が登場するなど、 数寄人として生きたのでした。

 

Frco Don・記

 

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