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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師・黒田官兵衛百物語32話】ご先祖は源氏?藤原氏?橘氏? 大名となったので立派なオリジンを探してみた

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前回(6月15日)の大河ドラマ「軍師・官兵衛」では、岡田准一・官兵衛が藤巴紋を旗印に決め、家臣の前で高らかに披露するシーンがありました。

有岡城から脱出し、秀吉陣営に戻った翌年の天正8年にな入り、三木城開城、鳥取遠征などを、忙しく済ませた後に、官兵衛は播磨宍粟郡山崎に一万石を拝領し、初めて国持ちとなります。国持ちとなれば、旗頭として幟を立て戦陣に臨むことになります。

そこで、官兵衛は、父・職隆に対して、わが黒田の旗印は何かと問うのですが、かつては決まったものがあったが、家が衰微して久しい今となっては不明だ。しかし、「当家は佐々木の流れなれば佐々木家の法を用ゆべし」と、源氏の一流である佐々木と同じ旗印を使えばよいと答えたと黒田家譜にあります。

佐々木源氏の旗印は、四つ目結紋の上下に、八幡大菩薩と佐々木大明神との神仏名を染め抜いたものでした。官兵衛は、まったく同じでものではどうも、ということで中白の旗を考案し旗印としたと、家譜は続けて語ります。また、図のような白絹・吹貫の馬印も合わせて考案しました。

家譜が伝える、官兵衛がはじめて国持ちになった時定めた旗印は藤巴紋の染め抜きではないのです。

藤巴紋については、【23話】衝撃!黒田の家紋「藤巴」は有岡城幽閉と関係なしだった!でもふれましたが、主であった小寺政職の小寺家から拝領したものです。

小寺家は「藤兵衛」という名乗りを、代々、伝えていました。
本姓が藤原でれば名乗りに「藤」を使う。平姓であれば平兵衛を名乗りで通すというような習慣がありました。
小寺氏は、一時、本性を藤原としていたことがあり名乗りに「藤」の一字を使うとともに藤を象る紋を使っていたのだろうと思われます。

黒田家では佐々木源氏の流れであるから、その旗印を真似ればよいと職隆が言ったといいますが、その本姓について藤原・橘・豊臣と記した以下のような史料が残されています。

「檀越”豊臣”朝臣黒田長政」(慶長6年・1601紀年聖福寺棟札)
「黒田筑前守”藤原”長政」(元和4年・1618 日光東照宮・長政奉納石鳥居)
「居士姓””氏俗諱孝高道称如水法諱円清」(福岡県朝倉市円清寺・官兵衛肖像画讃)

「わが祖は佐々木氏流源氏である」とすることが黒田家にとっては、納まりがよい感がありますが、本姓を源氏とするようになったのは、幕府によって寛政年間までの諸大名事跡が収集された『寛政重修諸家譜』が編纂されて以降のことではないかと思われます。

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