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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師・黒田官兵衛百物語34話】管理職(大名)はつらいよ!鳥取城を落とす前に四国へ転戦

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さて、因幡・鳥取城は、官兵衛が進言した二つの策によって落ちると前回かきましたが、官兵衛自身は、その落城を見ずに四国へと転戦することになります。官兵衛による第1次四国征討戦です。

天正9年9月に入り、信長から秀吉に対して四国・阿波の三好康長を支援するよう命令が下ります。

土佐の長宗我部元親が、四国全土を席巻する勢いを見せていたことへの対応でした。秀吉は鳥取攻城中に下された信長の命に応えるべく、官兵衛を軍監(参謀)に任じて四国へやったというわけです。

ところが、この四国遠征には、いささか込み入った事情がありました 。

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信長が支援をするように命じた三好康長には秀吉が甥の秀次を養子に出していました。一方、征討の相手となる長宗我部元親は、かねて、明智光秀を取り次ぎとして信長に対して好(よしみ)を通じ、四国のことは勝手次第を許すとういう信長の一筆を得ていたのです。元親にしてみれば、「四国のことはワシに任すとの約束であったではないか」ということなのです。
この、政治的にはいささかこじれた状況の中に兵を動かすことのなった官兵衛は、まず、淡路に入り本州・四国間の制海権を確保すると、三好方の篠原自遁の阿波木津城、勝端城に支援の兵を入れ、淡路・由良城、岩屋城などを3日間で落とすという電撃的な行動を見せています。
官兵衛は電撃作戦を終えると、四国を秀吉子飼の仙石権兵衛(漫画センゴクの主役)に任せて姫路へ帰還し、再び毛利氏との対決にむけ備中での戦いの準備にかかることになります。
Frco Don・記

あしたにつづく



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