日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

天明3年(1783) に発見された職隆墓石のスケッチ

スポンサーリンク

黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師・黒田官兵衛百物語35】「STAP先祖はあります!」分からなければ「探せば」いいではないか

更新日:

前回はこちら

黒田氏本姓の話しや陣中幟のことなどについて、何度かふれた序でに、江戸時代中期に福岡藩が黒田家の先祖探しを行っていたことについて語ります。

官兵衛の曾祖父・高政以前のことについてはよくわかっていないのが黒田家の歴史でした。

寛文年間に入り、3代藩主光之が藩儒・貝原益軒に命じて、「黒田家譜」の編纂を開始させたことから、藩内で藩主の先祖調査が盛んになってきます。黒田家は、佐々木源氏の流れを組む家で、近江国黒田村を発祥の地とすることが この頃迄に公的な見解とされることになります。

先祖調査は、文献上だけと限らず、フィールドでも行われていました。
そうしたフィールド調査の成果の一つとして、天明3年(1783) の秋に、姫路城の東南に位置する妻鹿村(現兵庫県姫路市飾磨区妻鹿)で、官兵衛の父・職隆の墓石が発見されます。

さらに、寛政5年(1793)年の夏には、御着城(現姫路市御国野町御着)から職隆夫人と、職隆父・重隆の墓碑が見つかります。

 

天明3年(1783) に発見された職隆墓石のスケッチ

天明3年(1783) に発見された職隆墓石のスケッチ

これらのフィールド調査に関わって、播磨国多可郡黒田村(現兵庫県西脇市黒田庄)が黒田家本貫の地だという伝承も採取されています。近江伊香郡木本村とする黒田家譜とは異なる伝承です。

いづれの大名家でも似たり寄ったりですが、こうした形をへて、お家の歴史が確定されて行ったのでした。

Frco Don・記

スポンサーリンク

つづく




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-黒田官兵衛百物語, 黒田家, 名脇役
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.