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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

黒田長政15歳の春 毛利の城「冠山城」攻めで初陣! でも馬術は苦手【軍師・黒田官兵衛百物語37話】

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33話「鳥取城攻めで見せたホントは怖い官兵衛の策略」でに官兵衛が鳥取城の包囲戦で様々な策略を使い、城内を飢えさせる干ぼしによって勝利を収めた話しを紹介しましたが、大河ドラマの軍師官兵衛では6月22日の放送で、まさかの「鳥取攻め」スルーとなりました。ある意味でもっとも軍師らしい戦いの一つだったのに残念です。

猛将の第一歩は岡山県での毛利との戦い

ともかく、官兵衛の嫡子・松寿丸が元服し、長政と名を改め黒田長政という勇猛で知られることになる侍が誕生することになります。その長政の初陣は天正10年(1582)4月26日。信長が本能寺とともに灰となる一か月半前のことで、15歳の時の話しです。

同年、織田信長の命を受け羽柴秀吉軍3万は、備中国南東部に侵入し、清水宗治を城主とする高松城(岡山市)を囲み、よく知られた水攻めへと戦いは展開していきます。高松城の攻囲にかかるまでの秀吉軍は、備前・備中境の毛利方の諸城を落としながら進軍しますが、それら諸城の一つ、冠山城攻略戦が長政の初陣となりました。

冠山城については、特に岡山県の城をたくさん回られているブログ「日本の城訪問記」が詳しいです。(冠山城のページはこちら)一部引用させていただきます。

577年(天正5)以降、織田信長は中国地方へ羽柴秀吉を進出させた。
当時、備中の城主たちは、ほとんど毛利方に属し、宮路山城・冠山城・備中高松城・加茂城・日幡城・松島城・庭瀬城「境目七城」を強化して対抗していた。
冠山城は、その「境目七城」の一つ。

同ブログ作成の地図からは高松城攻めで重要な拠点であることがわかります

冠山城(同ブログより)

■冠山合戦を偲ぶ(城址最上段に立つ説明板より転載)

 天正10年(1582)4月17日冠山城は、織田軍2万、宇喜多勢1万に囲まれ、下足守の山や谷は陣馬で埋まった。守りは城主林三郎左衛門、祢屋七朗兵衛など3百騎、総勢3千6百人で、羽柴秀吉の旗本杉原七朗左衛門、宇喜多秀家らと戦った。

城内より打ち出す銃火ははげしく、また城兵には豪の者多くめざましい働きにより、寄せ手の犠牲は大きく、一時攻めあぐんだ。4月25日不幸にして城内より出火し、火は燃え広がり城中大混乱となった。城主林三郎左衛門は最早これまでと城兵に別れを告げ自決した。竹井将監など将兵139人は自刃或いは壮烈な討死を遂げた。加藤清正一番乗りの功名話、荒武者竹井将監が加藤清正と激闘ののち戦死したことなど激戦の状況が戦史に詳しく伝えられている。

小山ながら難攻の冠山城も遂に落城した。林三郎左衛門は行年51才、備中の国を半国与えようという羽柴秀吉の誘いをも断り、毛利並びに小早川隆景に義を貫いた。武士道に徹した冠山の城主及び将兵を心から称えたい。

昭和58年11月吉日  冠山城址四百年記念事業奉賛会

 

初陣を果たした後には、秀吉による朝鮮出兵時に退却してくる小西行長軍を援護し、収容する。苦境に陥った加藤清正軍に先鋒となって救援に駆けつける。関ヶ原の合戦では、開戦と同時に西軍本営の石田三成陣を急襲するなど、数々の武勇で知られることになる長政。

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長政くんは馬術が苦手

ところが、前回少し触れましたがどうやら長政は馬術が苦手だったようです。

天正15年(1587)12月のことですが、黒田氏が大分県の豊前六郡の領主となった直後に、長政は、鎌倉時代からの豊前の国人領主・宇都宮氏の当主・宇都宮鎮房に戦を仕掛けます。官兵衛も、重臣達も、この時の出陣には反対したと伝えられています。

おして長政は2千の兵を従え、鎮房が籠れる豊前の山奥深い谷そのものを郭にしたような城井城を攻めるのですが、案の定、不慣れな山岳戦に引き込まれて敗走することになります。

敗走途中、長政は回りを固める家臣達が止めるのを押し切り、ウマの首を返して反撃にかかろうとします。「馬を引返しかゝり給ひしが、深田に馬を乗り入れ引くどもうてども進退せず」と黒田家譜は、その時のことを語りますが、長政は、ウマを田に落としてしまい身動きがとれなくなってしまうのです。

結局、家臣のウマに乗り換えて長政はようやく窮地を脱し、ほうほうの体で居城まで戻ることになります。
攻防最中の、ウマの乗り回しでの失態とは、一生の不覚です。家臣にウマの口を取られて諌言されるなどのことも、他の戦いの場面として数度見られます。猛将と知られている長政の意外な盲点を伝える話しでした。

福岡藩に伝わる馬の医学書「若槻家伝馬書」の頁

福岡藩に伝わる馬の医学書「若槻家伝馬書」の頁

Frco Don・記

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つづく

 

 




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