日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

官兵衛の孫は荒木村重のおいっ子に馬術を習っていた!【軍師・黒田官兵衛百物語38話】

更新日:

 

前回、長政は意外にも乗馬が得意ではなかったと言う話しにつづけて、今日は、官兵衛の愛馬は凶事をもたらす凶相だったという、江戸時代中期に成立した逸話集「常山紀談」にある話しを紹介します。

官兵衛はクリスチャンだから迷信を信じない?

ウマは体のあちらこちらに旋毛(つむじ)を見せていることがあるのですが、特に、頭部に旋毛があるのは凶相だという迷信が古くはありました。官兵衛が乗っていたウマがまさに、それだったのです。

しかし、官兵衛は、そのことについて人から聞かれると、「人間は万物の霊長だという、その人間の運がウマの毛並みなどに左右されるものではない」と答えていたといいます。

「万物の霊長」という語は、中国の古典「書経」にあるものですが、迷信を気にしない官兵衛のこうした姿勢は、キリスト教への信仰と関わりがあったものかもしれません。
人間以外の生物に霊性を認めないという、キリスト教の教理を根拠したもののように思われます。

*旋毛とは

馬のつむじのこと。馬の被毛は直立して生えないで傾斜して生えるために、体表にいわゆる毛流ができて、その起始部や終止部がうず巻き状に巻き込んで、左回りまたは右回りに流れを作るか、また左と右、上と下など反対方向からきた毛流がぶつかり合って毛が立ってくるために生ずるものが旋毛である。できる場所によって呼び名が違う。  わが国では馬体各部の旋毛を個体鑑別に利用している。(JRAのHPより引用)

スポンサーリンク

家康がほめた孫の馬術

孫は馬が上手でした(Wikipediaより)

さて、変って官兵衛の孫・忠之、のちの福岡藩二代は乗馬の名手だったという話しがあります。

忠之は、14歳になった元和元年(1615)に、京都で、徳川家康と将軍秀忠に馬術を披露するということがありました。
この時、家康は忠之の見事な手綱さばきに感心し、誰に習ったのかと聞きます。

忠之の馬術の師は、信長に対して反旗を翻した際に、官兵衛を有岡城の土牢に幽閉した荒木村重の甥にあたる、荒木十左衛門元満でした。

元満は村重の信長に対する謀反には加担しなかったものの、あおりを喰う形で父親と共に浪人していたところを、縁があって黒田家に拾われ家臣となっていたのです。
 
その後、元満は、家康に請われて徳川直臣となります。
忠之を乗馬の名手に育てた技量を家康から買われたわけです。
江戸時代初期。現代などよりも、人材の流通がずっと自由に行われていたようです。

Frco Don・記

スポンサーリンク

つづきは「官兵衛の孫は荒木村重のおいっ子に馬術を習っていた!【軍師・黒田官兵衛百物語38話】」




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-黒田官兵衛百物語, 黒田家, 名脇役
-, , ,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.