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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師・黒田官兵衛百物語41話】武功に焦り16歳で海の藻くずとなった黒田長政の弟「熊之助」

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官兵衛の子と言えば、関ヶ原の合戦で家康勝利を導いた第一の功労者として知られる黒田長政ですが、次男に熊之助という男子がいました。子に縁の薄かった官兵衛夫婦は、後藤又兵衛や、玉松(後の黒田一成)を引き取ったり、妹の子・松寿などを養子にとって育てていました。
そして、一人っ子だった長政が生まれた十五年後の天正十一年(1583)に二人目の男の子として熊之助を授かったのでした。

長男・長政の出生から、随分と時をおいての二人目の男の子の誕生ということで、官兵衛夫婦はもちろん、黒田一門にとっても希望となりました。ところが、熊之助について残されている記録と言えば、誕生につづくものとしては、死亡についての報告のみです。

慶長二年(1597)に慶長の役(第二次朝鮮出兵)が始まり、官兵衛と長政は朝鮮半島へ渡り軍を進めていました。

この時、16歳だった熊之助は、黒田氏本城の豊前中津城(大分県中津市)で留守をしていたのですが、思い立って若い家臣を集めて、父と兄の加勢にと朝鮮にむけて豊前から船を出したのです。

関門海峡から玄界灘へと出ると、そこへ折からの暴風。
熊之助は、ひき連れた家臣らとともに海に呑み込まれ溺死してしまいます。

官兵衛夫婦は、ほとほと子には縁がなかったようです。

父・官兵衛(右奥 )と兄・長政(左)の間に並ぶ小さな熊之助の墓碑(福岡市博多区千代町・崇福寺)

父・官兵衛(右奥 )と兄・長政(左)の間に並ぶ小さな熊之助の墓碑(福岡市博多区千代町・崇福寺)

Frco Don・記

 

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