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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

備中高松城の士気の高さと対照的な周囲の毛利方の城【軍師・黒田官兵衛百物語44話】

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織田信長派遣の羽柴秀吉軍による、中国の覇者・毛利氏攻略の事実上、最後の戦いとなる備中高松城(岡山市)の水攻め。城ひとつを水没させてしまうという、この作戦をNHK大河では岡田・官兵衛の発案として描かれていましたが、事実は違います。

そのことについては、後日にゆずるといたしまして、ここ2回は高松城と城将・清水宗治についてひとくくさり。

高松城の”衛星”7城を襲う秀吉・宇喜多の大軍

天正10年(1582)の4月14日未明。備前の岡山城(岡山市)を発した秀吉軍は、天正7年に帰順した岡山城主の宇喜多軍1万(宇喜多直家は天正9年に死去)を先鋒に、つごう3万で備中へと侵入し、高松城を中心に篭城して待ち構える、毛利方の七つの城に襲いかかりま す。

陣内直家「あの世から激動の時代をみてるわ」(絵・霜月けい)

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冠山城→自刃 宮路城→逃亡 加茂城・日幡城→裏切り

七城中、最初に、黒田長政の初陣となったと(黒田長政15歳の春 毛利の城「冠山城」攻めで初陣! でも馬術は苦手【軍師・黒田官兵衛百物語37話】)でふれた、高松城北方の足守村に郭を広げる冠山城を、宇喜多軍一万が4月17日に囲むと、25日には城将・林三郎左衛門重真が自刃。家臣139名も追い腹を切って落城します。

秀吉本軍も、同日に冠山城の更に北にある、乃美兵部とその子・少輔四郎元信が守る宮路城を囲みます。
指揮をとる官兵衛は、宮路城中の水脈を断った上、三方から強く攻め、手薄に兵を配置した一歩からの逃亡を誘うという手をとると、5月2日になって兵共々、乃美父子は城を棄ててしまいます。

高松城から半里南の加茂城には、毛利本領から派遣された桂民部大輔広繁・上山兵庫元忠・生石中努少輔の三将が入り 、本丸・西の丸・東の丸と、それぞれ守備についていました。が、生石が裏切りを決し、守備する東丸に宮路城の落城と同日の5月2日に宇喜多勢を誘い入れたことで落城します。

加茂城のもうひとつ南に並ぶ日幡城には、清水宗治の与力である、日幡六郎兵衛を城主に、その手勢100人ほどに加えて、備後から毛利の臣・上原元将が700の兵を率い派遣され守備についていました。ところが、上原元将は、六郎兵衛を斬り、秀吉方に投降してしまいます。

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高松城だけは士気が高いままで激戦へ突入

七城のうち残る庭瀬・松島の二城は、高松城から離れていることから、秀吉は無視して、いよいよ高松城を囲みます。

境目七城のうち四城は、自刃・裏切り・逃亡・投降という形で、短期間の攻 防で決着を見たわけですが、高松城は城将・清水宗治以下、5000の兵達の士気が高い上に、回りを囲む湿地が攻め手の道を閉ざし、大軍による力攻めから守っていました。

秀吉軍は思いの他、高松城攻略に手こずることになるのですが、攻めるに不利な湿地という条件を逆手にとって、城の回りを湖水のなかに孤立させてやろうということになるわけです。

夕暮れの備前高松城(筆者撮影)

夕暮れの備前高松城(筆者撮影)

Frco Don・記

「武士の鏡・清水宗治は毛利に仕えてわずか8年」へつづく

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