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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

明智光秀が本能寺の変を宣言した「時は今  雨が下しる 五月かな」に同席した歌人は官兵衛と親しかった【軍師・黒田官兵衛百物語48話】

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明智光秀が「いよいよ本能寺に織田信長を襲う」という時には必ず出て来る光秀の「時は今 雨が下しる 五月哉」の発句。

「雨が下しる」は「天が下しる」の暗喩で、信長を襲う意志を詠んだものだと、俗に解説されているこの句を光秀は、一体、いつ詠んだのかというと、本能寺の変の9日前の天正10年の5月24日(28日とも)でした。

愛宕百韻と言われる、連歌師・里村紹巴を招いて京都・愛宕神社で光秀が設けた連歌会でのことです。

光秀が「時は今 あめが下しる 五月かな」と発句すると、威徳院行祐の「水上まさる 庭の夏山」が続き、第三に里村紹巴が「花落つる 池の流を せきとめて」と詠んだといいます。

愛宕山に泊まった光秀は、境内の太郎坊でくじをひき、運を自ら運を占い、西坊では里村らと連歌百韻成し、神前に納めたといいます。光秀は、連歌が巡詠される最中に、不意に対して本能寺の堀の深さを尋ねたのどということも誠しやかに伝える書もあります。

里村は当時の連歌界を代表する存在だったのですが、光秀主催の愛宕山百韻の席に並んでいたことから、本能寺の変後の事態を掌握した羽柴秀吉に、相当、厳しく詮議を受けたといいます。とんだ、とばっちりです。

さて、官兵衛です。

官兵衛も、この里村とのちの慶長年間に入ってからの話しですが、15、6回、連歌会をもっています。

以前にふれましたが、官兵衛母方の祖父・明石正風は城持ちにして、関白・近衛家に歌の師として仕えていました。父方の祖父・重隆も将軍・足利義輝列席の連歌会に参会するような経験を持つ人でした。官兵衛という人は、文雅の血をひく人でもあったのです。

まさか、本能寺での異変を前に、里村から官兵衛の耳へ、「時は今 あめが下しる 五月かな」との光秀の発句があった、などというささやきは、なかっただろう、とは思いますが、本日(2014年7月13日)大河ドラマ「軍師官兵衛 本能寺の変」ではどうなるでしょう。

黒田官兵衛夢想之連歌(福岡市博蔵)

黒田官兵衛夢想之連歌(福岡市博蔵)

Frco Don・記

つづく

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キャプション/筑前太宰府で官兵衛がもった「夢想連歌」の冊(福岡市博物館蔵)




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