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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

備中高松城の堤防は3キロでなく300メートルだった【軍師・黒田官兵衛百物語49話】

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備中高松城水攻めに話しを戻して、今回と次回で二話、お話を。

通説では近くを流れる足守川を堰止めて、高松城を水に沈めてしまうのに秀吉軍は約3キロの堤防を築いた、ということになっています。

ところが、事実は、300メートル程度の長さの堤防が築かれたようです。

江戸時代中期の寛政3年(1791)に地理学者の古川古松軒が備中高松城跡と周辺地域を踏査し、「備中国加夜郡高松城水攻地理之図」を現しますが、同図に「此所二新堤築ク」とある注記部分に描かれた堤防部分の長さを推測すると300メートル 程なのです。

昭和60年(1985)6月に高松城跡一帯が水害に会い水没しました。奇しくも天正10(1582)年の水攻めの景が再現され、同城一帯が、元々、水没しやす地形だということがわかったのです。

その後、平成9年(1997)に地元の県立高松農業高等学校土木課の測定によって、現在残る水攻め堤防跡に沿った一帯が周辺より1メートルほど土地が高く自然堤防を成していることが確認されました。足守川の土砂の堆積などで形成されたという、この自然にできた堤防に、300メートル程の人口堤防をついでやれば、充分に高松城を水没させることが出来ると推測されるそうです。

「備中国加夜郡高松城水攻地理之図」に描かれた、高松城水攻め堤防約 300メートルの根拠について、現代の測量によって裏付けられたというワケです。

古川古松軒「備中国加夜郡高松城水攻地理之図」

古川古松軒「備中国加夜郡高松城水攻地理之図」

詳しくは「はみ出し学芸員の お城な日々」、こちらからどうぞ、、、、
http://hamidasi-gakugeiin.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/07/post_abb7.html
Frco Don・記

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つづく




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