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熊本城水攻め図 ブログ「はみ出し学芸員の お城な日々」より

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

水攻めの歴史は古くは源平合戦で木曾義仲、最新は西南戦争で西郷隆盛が発動【軍師・黒田官兵衛百物語50話】

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さて、前回に続き、備中高松城水攻めを掘り下げる二話目となるお話しです。
備中高松城水攻めは、秀吉の発案だったと「46話・本当の高松城水攻めは官兵衛じゃなくて秀吉の思い付きだった」でふれましたが、実は、城を水に沈める計というのは、高松城水攻め以前にも行われていたのです。

今回もブログ「「はみ出し学芸員の お城な日々」さんからの参照させていただくと、

・寿永2年(1183)。越前国燧ヶ城に平家軍を迎撃するのに木曽義仲方の武将が、城の近くの日野川を塞き止め一帯を水没。『源平盛衰記』

・永禄2年(1559)。近江国の大名・六角義賢、高野瀬秀隆の浅井長政への内応に報復し、秀隆居城の肥田城を水攻め。

・元亀3年(1572)。織田信長、浅井長政の小谷城攻めで、信長本陣・虎御前山城から東方の付城・宮部城まで、長さ50町(約5.5キロメートル)にわたって高さ3メートルの土塁を築く。土塁の外側に水を入れ、内側には軍道を造る。

などの例があります。
そして国内史上、最後の水攻めは明治10年(1877) の西南戦争中だ、とのこと。

西郷どん(Wikipediaより)

西郷隆盛・薩摩軍1万超が、政府軍4千の兵が籠る熊本城を攻囲しているところに、政府軍援軍が福岡より南下。これを迎撃するために薩軍は熊本北部の田原坂へと移動します。

その際に、後方からの熊本城篭城政府軍の追撃を回避する目的で、薩軍は、熊本城の周囲を流れる坪井川・井芹川の合流点を堰き止め、熊本城下を水浸しにしたそうです。

史上最後に、水攻めの策をとったのは西郷ドンという話しでした。

熊本城水攻め図 ブログ「はみ出し学芸員の お城な日々」より

熊本城水攻め図 ブログ「はみ出し学芸員の お城な日々」より

詳しくは「はみ出し学芸員の お城な日々」、こちらからどうぞ、、、、
http://hamidasi-gakugeiin.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/07/post_abb7.html

Frco Don・記

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つづく




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