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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

黒田家の家紋が藤巴・白餅・藤巴と変遷したワケ 軍師黒田官兵衛百物語53話

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この連載の幾度か前に、現在NHK「軍師・官兵衛」で頻繁に出て来る官兵衛の黒田家の定紋・藤巴紋について、事実としては表立って使用されず、代わって「白餅」紋が常用されていたことについてふれました。(【軍師・黒田官兵衛百物語23話】衝撃!黒田の家紋「藤巴」は有岡城幽閉と関係なしだった!)

明治以降になって「藤ともえ」がメーンに

福岡市博物館の研究では、江戸時代の黒田家では白餅紋を表紋、藤巴紋を替紋として使用、近代以降に黒田家が用いている家紋はほとんどが藤巴紋、などのことが確かめられています。
今回は、その藤巴紋と白餅紋の使用の時間上の経過とその理由について推察を述べてみます。

小寺家の定紋「藤巴」

小寺家の「藤巴」

黒田家の定紋「藤巴」、ちょっとシンプル

黒田家の「藤巴」、ちょっとシンプル

藤巴紋は黒田家旧主君の小寺家から下渡されたということもふれました。その藤巴紋を小寺姓を名乗っていた官兵衛は、主君の小寺政職が織田方を裏切り毛利方へと寝返ることで縁が切れるまで、使用していたと推測できます。
小寺一門としての知遇を受け、姓と同時に下げ渡された藤巴紋ですからこれは当然、自然なこととして考えられます。
後、天正八年(1580)に、信長・秀吉・官兵衛の三者を裏切った末に、小寺政職が失踪してしまいます。一方、官兵衛は秀吉から一万石を拝領し、初めて国持ちになります。この時点で白餅紋を黒田家の表紋に採用します。

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小寺から独立した国持ち大名の証しとしての白餅紋

白餅=城持ちとかけたんだとか

白餅=城持ちとかけたんだとか

家紋を新たにしたワケは、信長・秀吉を裏切った小寺家拝領の藤巴紋の使用が憚られたというのが第一でしょう。ま た、家紋を新たにするにあたり白餅紋に決めたのは「城持ち」に繋がるという、いかにも新興大名の状況を物語るところにあり、家系の歴史や伝統などとは遠い、当世風の好みからだったのでしょう。
その後、江戸時代のあいだは織田・豊臣時代を生き抜いた大名家として存在した黒田家であったことから、やはり小寺家を象徴する藤巴紋の表立っての使用は憚られ、替紋として、言ってみれば裏の場で使用し、表門としては白餅紋の使用を続けたというものでしょう。

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明治になって変えたのは日の丸とかぶったから

明治になって侯爵家となった黒田家は好んで藤巴紋を表立って復活させ使ったことについて、これも、また、先にふれました。このことは、日の丸が国旗となり、その意匠が相似であることと、代となり武家 時代の話しである小寺家の裏切りについての話しが、忘れ去られた遠い話しになった所からに他なりません。
藤巴・白餅・藤巴と変遷した紋の使用は黒田家が置かれた武家としての立場の変遷そのものを物語っています。

白餅紋を前立てに使った、黒田長政所用黒漆塗桃形大水牛脇立兜Wikipediaより

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