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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

本当は秀吉軍のインテリジェンス担当軍師だった蜂須賀小六(正勝)【軍師黒田官兵衛百物語55話】

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前回、ドラマでは荒くれ者のイメージで描かれている官兵衛のおじ小寺休夢が茶道に精通した文化人だったということを紹介しました。今回取り上げるのは、秀吉の右腕・蜂須賀小六。後の蜂須賀彦右衛門尉正勝といえば、大抵の小説やドラマで粗野で大雑把な人物像として描かれています。

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当サイトの人気4コマ漫画「戦国BoogieWoogie」での蜂須賀さん(右)

信憑性が低いとの指摘もある『武功夜話』に「侠気猛けく、豪勇近隣に聞こえ、木曽川筋七流れの配下の者数千人集まり、一党の者は尾張・美濃のあいだを徒党し往来す」とあり、木曽川沿いに巣くう、いかにも山賊然とした姿で蜂須賀正勝のことが描かれていることからくる、後代に創造された人物像です。

事実は、官兵衛、竹中半兵衛と並んで秀吉が頼りにした軍師の一人であり、知将の顔を備えた人でした。

蜂須賀正勝が持つ 知将としての顔を証す事実としてあるのは、本能寺の変をきっかけに、取り急ぎの和睦を毛利氏とのあいだで実現したの後の、二年に渡る国境画定交渉に、官兵衛と並んで正勝が対応に当っていることです。
この間の交渉に関わる毛利方への秀吉方からの書状の多くに、官兵衛に連署した正勝の名前をみることができます。
秀吉が本能寺の変後に山崎で明智光秀を倒した天正十年(1582)6月13日以降の秋九月頃、官兵衛と正勝は中国へ差し向けられます。結局、国境が確定するのは天正十三年(1585)のことで、この長きにわたる交渉に正勝は官兵衛とともにあたったのです。
しかも、その間には、秀吉が信長の後継の座を巡り雌雄を決することになる柴田勝家との賤ヶ岳の合戦。また、徳川家康とのあいだで覇権を競うことになる小牧・長久手の合戦と大きな戦いが行われていますが、いずれの合戦においても正勝は、官兵衛とともに毛利との交渉を中断し、秀吉の幕営に急ぎ戻るように命じられています。

正勝は、肝心な所では秀吉の陣中に不可欠な「軍師」だったのです。

毛利氏との間の国境確定を官兵衛と二人、実現した後には、軍奉行として、天正十三年(1585)5月から着手した四国平定戦で戦功を上げています。四国平定戦での武功に対して阿波一国(徳島県)を与えることで秀吉は報おうとしますが、正勝は固辞しました。
結局、息子の蜂須賀家政が阿波を拝領することになるのですが、1586年の5月に61歳で、その生を終えます。なお 、正勝の娘(家政の妹)が官兵衛の長男・長政の最初の正室となるのは、大河ドラマをご覧の方は想像がつくでしょう。

長政と小六娘の合コンじゃ合コンじゃ!(霜月けい・絵)軍師官兵衛感想マンガより

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つづく




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