日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師官兵衛百物語57話】キリスト教に無関心だった官兵衛の奥さん

更新日:

 

官兵衛が没して三年が経った慶長十一年(1606年)三月二十一日に、長崎からイエズス会日本支部副管区長のフランシスコ・パシオ神父が官兵衛の遺言で、新たに建設された「官兵衛記念聖堂」の献堂の祝福と官兵衛昇天後三年にかかる追悼式がおこなわれました。〈マトス回想録〉

当時、江戸・大坂・京都・長崎以外への教会の建設を禁じていた徳川幕府に対して官兵衛の事跡を記念しての建築物という建前で記念聖堂は建設の許可が得られたのです。

前夜には壮大なミサが行われ、翌日には長男・黒田長政に加えて、官兵衛の正室の照福院「光姫」のほか重臣達など、異教徒も含めて、多くの参列者を 集めて官兵衛記念聖堂の献堂が祝福されます。実は光姫がキリスト教会の集まりに参加したのはこの時が初めてでした。

光姫はキリスト教理に沿い、官兵衛が生涯に一人だけもった妻でしたが、熱心な浄土宗の信徒でキリスト教に興味を示すことは生涯ありませんでした。

ところが、この日は「三十棒だったか五十棒だったか」とパジオ神父が回想録に記していますが、初めての教会への光姫からの寄進があったことに驚いています。

「そして殿(長政)は我らの家で食事をし、また城内での食事に我ら一同を招待した」と官兵衛追悼ミサについてふれる回想録の最後にあり、ミサの後には長政が神父達と教会堂で会食を伴にしていますが、 光姫はどうやら同席しなかったようです。

官兵衛はアニュス・デイ(祈祷文)とロザリオを胸に抱き、息を引き取ったとイエズス会の報告にはあります。そうした官兵衛のキリスト教への経験な態度こそが、あの時代にはめずらしい生涯一人の妻として光姫は官兵衛と寄り添うことができたのですが、初めておこなわれた寄進に宣教師達が驚くほどにキリスト教に無関心で過ごした人でした。

スポンサーリンク

Frco Don・記

アルファベットで名前が入ったキリシタン武士の甲冑図

アルファベットで名前が入ったキリシタン武士の甲冑図




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-黒田官兵衛百物語, 黒田家, 名脇役
-, ,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.