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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語59話】島津征討のさなか宣教師保護で毛利を説得

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8月30日放送の大河ドラマ軍師官兵衛では、島津征討がまさかの1話で終わってしまいました。
あれを見ても島津征討戦で官兵衛がなにをやったのか分からないと思いますので、前回「【軍師黒田官兵衛百物語58話】毛利輝元と大友宗麟の和解を実現した交渉力」に続き、計4回にわたり島津征討戦と官兵衛について紹介いたします。

島津征討戦で九州へと渡るのを前に官兵衛は、大友・毛利和解調整を行うのに山口の毛利輝元を訪ねます。
天正十四年(1586)の七月末から八月初めのことです。

この官兵衛の山口行きを知ったイエズス会の日本管区副管区長のコエリョは、元々、教会があった山口での宣教活動の再開を領主・毛利輝元(のちの関ヶ原合戦時の西軍総大将)へ進言するよう官兵衛に依頼しています。(この時すでに官兵衛はキリスト教徒です。参考「【軍師官兵衛百物語56話】ドン・シメオン官兵衛!小西行長との縁でキリシタンに」

官兵衛は、九州遠征にむけて軍務に忙しい中、コエリョからの依頼を引き受けると難なく、輝元から山口への宣教師の帰還と教会地の提供の約束を取る付けています。

また、官兵衛の山口行きとは別に、同時期にコエリョが伊予(愛媛県)の小早川隆景を訪ねるのに、あらかじめコエリョの訪問を隆景に知らせてやっています。

官兵衛の一報を受けていた隆景は、コエリョ一行を歓待するとともに、伊予での宣教師の活動の自由を約束し、甥で当主の輝元に対して宣教活動を助けてやるよう認めた書状を発行してやっています。

天正十四年(1586)十二月。官兵衛軍と別に先遣秀吉軍として九州に入っていた、漫画「センゴク」の主人公・仙石秀久を軍監とする四国勢が豊後(大分県)へと侵入した島津軍に大敗し、豊後府内が島津側に奪われるということが緒戦で引き起こります。

府内にはキリスト教の神学校や修練院がありましたが、官兵衛の申し入れで山口に再建された教会施設へと事前の避難が行われ、イエズス会は危難を避けることができました。

Frco Don・記

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あしたへつづく

 

山口サビエル記念聖堂(Wikipediaより)




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