日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語60話】九州征伐での先遣毛利兵の敗走と立花宗茂の奮闘

更新日:

 

天正十四年(1586)八月半ばに門司(関門海峡の九州側)へと集結した関白秀吉の先遣軍は、同二十六日には早くも拠点とした門司城から毛利兵2000を大里(現・北九州市門司区大里)に展開し、敵と衝突しています。

島津方の高橋元種の居城・小倉城(北九州市小倉北区城内)から500ほどの兵が出撃してきたことへ対抗したものでした。
この戦では島津方に1000の後詰めに駆けつけ、毛利側は将領の桂兵部亟と福間元明が討ちとられるという損害を出し負けています。

この大里での戦いを始まりに、高橋元種は豊前・筑前に勢力を張る実父・秋月種実とともに先遣秀吉軍を相手に正面からの戦いに挑むことになります。緒戦を飾ったことは、「秀吉勢易し」と島津軍側全体の士気も上げたに違いありません。

その間、豊前の国人衆の多くを10月2日までには攻略、あるいは調略によって開城させていることが黒田家譜によって確かめられます。

こうして九州全体が島津によって征服されるかと思われた頃、福岡県太宰府市周辺で反島津として息巻いたのが、のちに日本有数の猛将と讃えられる当時19歳の立花宗茂でした。

この踏ん張りの効果もあって、翌年、秀吉本隊の総勢18万の大軍が九州へ押し寄せたことで、島津は降伏します。

あしたは、島津九州制圧をギリギリで踏みとどめた立花宗茂と官兵衛の活躍について詳しく紹介します。

Frco Don・記

スポンサーリンク

あしたにつづく

官兵衛秀吉先遣隊と島津方の戦

 




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-黒田官兵衛百物語, 黒田家, 名脇役
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.