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鎮房が篭った城井谷深くそそり立つ「三丁弓の岩」。この岩に篭れば敵を防ぐのに弓三丁あれば充分だったということからその名がある(筆者撮影)

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語69話】大河ドラマでは分からない宇都宮鎮房の蜂起

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天正十五年(1587)の10月1日に豊前中央部の国人衆・上毛日隈城主・日隈直次と高田城主有吉清則が篭城し、新領主の黒田に反旗を翻すと、官兵衛が熊本での国人一揆の収拾に出向いているため、留守を任された黒田長政は即応し一日で打ち破っています。ところが、これに呼応して翌日に田川郡赤郷に隠れていた宇都宮鎮房が兵を起こします。

官兵衛VS宇都宮(絵・霜月けい)

官兵衛VS宇都宮(絵・霜月けい)

鎮房は旧居城の大平山城(築上町寒田)を襲うと、黒田の城代大村助右衛門を追い出し奪還に成功します。
長政は同9日に大平山城に兵を向けます。城井谷に深く曲輪を広げる大平山城を落とすのは至難の業である。一方で、鎮房の方も城を出ての野戦は不利と知っており討って出て来る心配もない。放って置くのが上策との重臣井上之房の進言を聞き入れず長政は出陣しました。

その結果、大平山城の北東一里(4キロ)手前の岩丸(築上町岩丸)で、谷を埋めたイノシシの群れが降ってくるかの勢いの宇都宮兵による山岳戦に引き込まれ大敗します。

鎮房が篭った城井谷深くそそり立つ「三丁弓の岩」。この岩に篭れば敵を防ぐのに弓三丁あれば充分だったということからその名がある(筆者撮影)

鎮房が篭った城井谷深くそそり立つ「三丁弓の岩」。この岩に篭れば敵を防ぐのに弓三丁あれば充分だったということからその名がある(筆者撮影)

この時、襲いかかる宇都宮兵団へ長政が単騎、斬り込もうとするのを、大野九郎左衛門が長政の馬の口を取って止めました。
「手を離せ、斬るぞ」とまで怒鳴っても手を離さぬ九郎左衛門に負け、長政は、一旦、後退。陣容を立て直した後に全軍に再突撃を命じます。
ところが今度は深田へと長政は馬を入れてしまい動けなくなります。家来の馬に乗りかえ戦場を脱出。居城の馬ケ岳城へ戻ったときには、供回りはわずか8騎になっていたといいます。この戦いで黒田方は800人を超える戦死者を出しました。

ここから天正十六年(1588)9月に有力国人衆の山田親家を中津城に誘い謀殺するまで、鎮房を中心とした豊前国人衆との間の一年に及ぶ官兵衛・長政父子の闘争が始まることになります。

長政VS宇都宮(絵・霜月けい)

長政VS宇都宮(絵・霜月けい)

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つづく




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