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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語71話】和睦しながら酒宴の場でだまし討ち!これぞ官兵衛の平常運転

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前回紹介したように、宇都宮鎮房だけでなく豊前にはほかにも有力な二つの勢力がありました。山田元房・野仲鎮兼です。官兵衛が山田と野仲ら国人衆の掃討を進める天正十五年(1587)12月半ばに、秀吉からの命を受け官兵衛支援のために豊前へと入った毛利一族の吉川広家が1万の兵で宇都宮鎮房が篭る大平山城を囲みます。

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鎮房は国人衆が次々と討ち取られ、残った国人衆も黒田へ降伏し帰順する者が絶えないという状況を見て、24日には広家が立てた使者安国寺恵瓊の仲介で、嫡子朝房を人質に出し官兵衛との間で和議を結びます。

和睦のふりをしてだまし討ちで処刑

官兵衛時代の石垣が残る中津城

官兵衛時代の石垣が残る中津城

年が明け和がなった四ヶ月後の天正十六年(1588)4月20日に、中津城での酒宴へと誘い出した 鎭房を長政が従う50人の家臣も含めて謀殺します。大平山城に残されていた鎮房の父長房はじめ一族13人は生け捕りにされた後、中津川の川原で磔にかけられます。

人質になっていた朝房は、検地の上使として出向いた官兵衛に同道した肥後で殺害されました。

九州平定戦で官兵衛が初めて九州の地を踏んで以降、帰順のそぶりを見せるものの態度をはっきりさせず、眼前で嫁の兄である高橋元種が攻め滅ばされるの見た後、慌てて息子朝房を参陣させ、形だけ官兵衛の味方に着いてみせる。

平定戦後には秀吉からの知行充て状を突き返すという宣戦布告に値する行動を行うものの一戦も交えず、毛利勝信の薦めに乗って勝信の所領内に大人しく引き上げたかと思うと兵を挙げる。そ のうえ城井谷の深くに篭り、戦となれば頑強な戦い振りを見せる。

日没前の城井谷

日没前の城井谷

片意地を張る、どこか陰湿な面影の鎮房について、「鎮房。図り殺すに、是非無し」と、官兵衛は静かに決し、計画を粛々と実行に移した。ただそれだけの話しです。

Frco Don・記

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つづく




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