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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

嫁を捨て家康の養女をもらう非情の選択、徳川政権成立に向けた黒田父子の画策【軍師黒田官兵衛百物語85話】

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慶長3年(1598)、秀吉が伏見城(京都市南部)で死んだことによって、2度目の朝鮮出兵(慶長の役)が終わり、半島から帰国した多くの大名は直に上洛し、秀吉亡き後の豊臣政権での有利な位置を求めて行動を起こします。

比べて官兵衛と長政の黒田父子は一旦、豊前中津(大分県中津市)に戻り、幾分遅れて慶長4年(1599)正月までに上洛、伏見城に入ります。

伏見では、石田三成・浅野長政・増田長盛・前田玄以・長束正家ら、豊臣五奉行がそろって伏見の家康を襲うという計画が持ち上がっていました。これに対して官兵衛と長政は家康の身辺を警護した上、去就に迷っていた加藤清正と福島正則を説いて家康方に引き入れています。

豊臣五大老の中で家康と不仲だった前田利家との間も取り持ち、和睦を実現させました。

こうした官兵衛と長政の動きは、毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝ら他の五大老との均衡を破り、家康に事実上の執政権を実現することになります。

長政は正室であった秀吉子飼いの蜂須賀正勝の娘を離縁し、同年六月六日には家康の姪で養女となっていた保科正直(まさなお)の娘・栄姫を正室に迎えます。

官兵衛・長政父子は揃って家康支援工作を行い翌年、慶長五年(1600)年を迎える準備にかかっています。

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