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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

黒田長政から離縁された糸姫と迎えた栄姫のその後【軍師黒田官兵衛百物語86話】 

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関ヶ原の合戦の直前に長政は、秀吉の股肱の臣だった蜂須賀正勝の娘糸姫を離縁し、保科正直の娘で家康の養女となった栄姫を正室に迎えます。

離縁された糸姫は実家の阿波蜂須賀家に戻り、正保二年(1645)に死去します。この離縁がきっかけで、江戸時代の間、黒田、蜂須賀両家は、いわゆる「不通大名」の関係となり、交流が途絶し江戸城内で会っても会釈も挨拶も交えることがなかったといいます。

糸姫と長政の間には菊姫という娘がいましたが、菊姫は黒田家に残り、11歳の時に官兵衛主催の連歌会に連なっていたことが伝えられています。 後には、黒田家の二番手の家老井上九郎右衛門の家(*コメントご指摘ありがとうございます)に嫁ぎます。

一方、栄姫は長男萬徳はか、四男二女を授かります。

長男萬徳は10歳になる慶長十七年(1612)に、長政に連れられ駿府、江戸と回り、すでに隠居し大御所となっていた家康と二代将軍秀忠への初お目見えを果たしています。

元服式もこの時の江戸滞在中に行われ、萬徳は右衛門佐に任じられるとともに、将軍から名の一字を下され忠之と名乗ることになります。黒田家は以後、大御所の孫(栄姫は養女ではありますが)が当主だった家として松平姓の使用が許されます。

慶長十九年(1614)の大坂冬の陣で忠之は、家康拝領の黒漆塗南蛮鉢歯朶前立兜(くろうるしなんばんはちしだまえたてかぶ と)を着用し出陣します。

Frco・Don記

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つづく

東長寺の黒田忠之墓碑

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黒田忠之菩提寺東長寺(博多区御供所町)の五重塔

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