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本阿弥 長谷部 黒田筑前守とある黒田家伝来の「圧切長谷部」(図録:福岡市博物館蔵「黒田家の甲冑と刀剣」 より)

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

史料発見!信長から官兵衛に渡された国宝の名刀は実は秀吉から長政だった?【軍師黒田官兵衛百物語88話】

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官兵衛が信長との初見の時に中国征討の経略を述べ、その才知に唸った信長が官兵衛へ手ずから下し渡したとされる銘刀「へし切(へしきり)長谷部」。

この刀は織田信長が無礼を働いた茶坊主が棚の下に隠れたため、激怒した信長はその棚ごと茶坊主を「圧(へ)し切った」という逸話のある業物で、現在、国宝に指定されています。

ただ、筆者は、官兵衛が信長に中国経略を述べたとされている二人の会見自体が無かったとみております。(参考「」)
そのためこの「圧切長谷部」が黒田家に伝わる経緯は、信長死後の形見分けによるものか、秀吉が形見分けされていたものを、その後に官兵衛が貰い受けてたのだろうと考えています。

 

新説!実は秀吉から長政がもらっていた!

この「圧切長谷部」が信長の死後に黒田家へ伝来した説を補完する史料を、この間、発見しました。
刀の鑑定で知られている本阿弥家に伝わる「名物三作」という文書がそれです。

「羽柴筑前守と申し奉る時、秀吉公より進んで黒田長政殿拝領し重宝なり」

と、そこにはあり羽柴と姓を名乗っていた頃の秀吉が長政に与えたということになっています。

秀吉が羽柴を名乗っていたのは、天正14年(1586年)まで。
長政は1568年生まれですが、ご存じのように信長の人質として、秀吉の長浜城で育ちました。15歳で1582年に秀吉の中国征戦に同行して初陣を飾っています。そこから19歳までの間に秀吉の手ずからもらったことになるのでしょうか。

Frco・Don記

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つづく




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