各地で起きた「関ヶ原」の一つは官兵衛配下の村上水軍VS薩摩船団【軍師黒田官兵衛百物語93話】

 

国東半島の富来城攻めの最中に、大坂を落ちのびた島津の大船ニ隻と黒田配下に入った村上水軍の「能島水軍衆」が海戦におよぶということがあったと黒田家譜にあります。

前回「【軍師黒田官兵衛百物語92話】九州の関ヶ原の結末―安岐城・冨来城を落とす」はこちら

島津船はかがり火を互いの目印として、三隻の船団で伊予灘沖を航行していました。九月二十九日夜のことです。そのうち二隻が風におされて富来城から一里の海上へ流されてしまいます。流された船の一隻には島津義弘(関ヶ原での敵中突破退却戦「島津の退き口」)の内室が乗っていました。関ヶ原の合戦での自軍の敗戦を知った大坂詰めの主従が海路、薩摩へむけて逃れている最中のことでした。

明け方近くなり、ニ隻は遠く海上にかがり火を灯す船影を見つけ離れてしまった僚船に違いないと接近を試みます。

ところが、船は富来城沖で哨戒にあっていた黒田配下の船だったのです。

上方の西軍方からの早船を拿捕すべく、官兵衛はニ十丁立て櫓の船四隻を用意させ交替で哨戒にあたらせていたのでした。

やがて空がしらみだし、遠く、伊予の佐田岬や瀬戸内海の島影などが見えてくると、島津船中では、接近を試みた船が僚船でないことに気づき、慌てて舵を廻し遠ざかろうとします。

イラスト・くらたにゆきこ

 

島津の姫を乗せた本船と分かれた島津船団が見たのは能島の村上水軍!

その日の哨戒にあたっていたのは、新たに黒田傘下にくわわっていた瀬戸内海を本拠とする能島村上氏の水軍衆の小早舟数隻でした。能島衆は急に舳先をかえし、遠ざかろうとする怪しい船影に気づきます。新参が手柄をたてるのはここぞと、能島衆は櫓をきしませて追尾をはじめます。沖での変事に気づき、われもわれもと慌てて浜を漕ぎ出してきた舟もあわせて能島衆の小早舟は十二隻を超えます。

追尾を悟った島津船中では、応戦は不利と判断し、棹に結んだ笠を船尾に掲げます。笠を棹につけて指し示すのは、海戦の際の降伏の習いでした。

ところが能島衆は島津船と知ると、降伏の標に構わず鉄砲を撃ちかけ攻撃をはじめます。

島津船ニ隻は、舷をよせもやい一船の形をとり、甲板上に畳をたてかけ鉄砲と矢で応戦します。さすがに島津兵は海上にあっても精強で機敏な応射をみせます。

小早舟の舷をよせて縄ハシゴをかけるなど、甲板上に昇る隙を伺う能島衆ですが、島津兵の果敢な反撃に上手くいかず、そのうちに誰かれとなく、松明を島津船中に投げ込みはじめます。

船上では、投げ込まれる松明を海に棄て凌いでいましたが、やがて火がつき甲板は煙に巻かれます。能島衆は立ち上る煙と炎にま ぎれて突入に成功。能島衆は、島津兵を斬っては海へと棄てます。

ニ隻の島津船の総員は二百ほどだったようですが、水夫十人・女八人が生け捕りにされます。なかに十三歳の男の子がいました。男の子は後に黒田の船手となります。植杉左衛門という名で家中にその子孫が健在だという家譜は伝えています。

Frco・Don・記

つづく








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