【軍師黒田官兵衛百物語97話】立花宗茂ら九州の西軍を救うための調停者として如水

 

筑前で小早川秀秋の家臣・仙石角右衛門の参陣を受けた官兵衛は筑後・久留米城へと向かいます。

久留米城主・毛利秀包(ひでかね)は、立花宗茂(統虎)・高橋直次・筑紫広門ら筑後の諸将とともに西軍に投じ、京極高次の大津城(滋賀県)を攻めて降らします。

留守中の久留米城には夫人・マセンシアと長男・市正ほかの子どもたちがいました。城代は桂入道快友(かいゆう)が勤め、篭城の人数は女こどもあわせて7~800名でした。

 

如水が来たら開城せよ

秀包はシモンとの洗礼名を持つように、官兵衛のすすめでキリシタンになった一人でした。妻のマセンシアはキリシタン大名として知られる大友宗麟の娘です。

上方へと兵を出すのに秀包は、家老の快友に対して
「上方にて味方もし打負けて、近国の敵、わが居城に攻め来る事あらば、各一戦をとげ、わが妻子を殺害すべし。もし黒田如水(官兵衛)が城にむかい来らば、如水は年来の交わりにて、殊に情深き人なれば、わがため悪しきようにはせられまじ。しからば一戦にも及ばす、早々に城を渡し妻子をば如水に任せ置くべし」
と含めおいていました。攻め手が官兵衛であれば降伏し、救ってもらえというのでした。

 

西軍が西軍を襲う修羅場に調停者として

官兵衛軍の到着を前に肥前・佐賀城主の鍋島直茂が久留米城に襲いかかっていました。直茂は、その息子・勝茂が西軍に参じており、家康に対する贖罪のために久留米城への攻撃を仕掛けていたのです。
先回に紹介した豊後・岡城主・中川秀成の臼杵城攻撃も同様ですが、諸候は関ヶ原後の生き残りに必死でした。

鍋島軍の攻撃は激しく、黒田家譜によると城内では落城を覚悟し、家臣の誰が秀包正室のマセンシアを斬り、嫡子は誰がと、その役割を決めたといいます。
秀包以下、城主家族、家臣の多くもキリシタンであり、教理から自害という形での命の清算は許されませんでした。よく知られた、細川ガラシャの最期と同様に家臣が主家族を手にかけるという形がとられようとしたのでした。

10月8日。筑前八丁越をへて、筑後に進入した官兵衛は久留米城近くの御井郡藤山村(福岡県久留米市藤山町)へと着陣するとさっそく久留米城中へと使者をたてます。

快友は使者を受け、 秀包の申しふくめに沿って、即刻、開城します。
秀包の家族は毛利本家の山口へと黒田家を介して送りとどけられます。秀包は大津から帰陣後、毛利領内の赤間関(山口県下関市)に逼塞(ひっそく)していましたが、慶長6年(1601)3月23日に吐血のすえ逝去したといいます。35歳でした。妻・マセンシアの生没年は不明です。

小早川秀包の子・能久は甲州流兵学師範として筑前入府後の黒田家に仕えています。

 

立花宗茂を救うための戦い

久留米城が開城すると鍋島軍が10月14日には筑後川を渡り、立花宗茂の居城・柳川城へと迫っています。肥後・熊本からは、小西行長の居城・宇土・八代の両城を攻め落とした加藤清正が1千の手勢で官兵衛軍に加勢するべく北上しつつありました。

同20日には、柳川の地元で「八院合戦」、または「江上表の戦い」とよばれ「筑後関ヶ原」とも例えられる、鍋島、立花間の合戦の火ぶたが現在の久留米市の筑後川岸で切られます。

官兵衛は22日に着陣。激戦の両軍のあいだに入り調停を行います。
北上途上の加藤清正は、立花宗茂に対して立花軍とのあいだで戦端を開く意志がないこと、宗茂が西軍に加担したことについて、自分が家康とのあいだに立って取りなしをおこなうことなどを認めた書状を送っています。

八院合戦は西軍方にあった鍋島・立花の両氏を救うために官兵衛と清正のあいだで予定された合戦でした。

 

宮崎方面でも西軍VS西軍を調停

官兵衛を中心に北部九州での戦闘が続く一方、日向・宮崎では西軍として大坂に兵を置いていたものの、病を理由に動かなかった伊東祐兵が官兵衛の助言を受け、嫡子の祐慶を帰国させるとともに、9月27日に家臣・稲津掃部助に命じて東軍側に寝返り、西軍方の高橋元種の家臣・権藤種盛が守る宮崎城を攻めています。

掃部助は、翌10月には宮崎城を降らせ入城しました。また、伊東軍は、関ヶ原から帰国途中の島津軍と遭遇し、現在の宮崎市の北方の佐土原で会戦しています。

ただし、高橋氏も当主・元種が関ヶ原で東軍に寝返っていたために、宮崎城は結局、高橋氏は返還され、伊東・高橋の両者ともに旧領が安堵されることになります。

その後、89話で紹介しましたように、立花、鍋島軍を先方に島津氏を攻めようと肥後薩摩境(熊本・鹿児島県境)に官兵衛が達した11月に家康の停戦命令が書状で届き官兵衛、九州関ヶ原戦は集結を迎えます。

九州関ヶ原戦の最終段階は、立花、鍋島の両氏を救うための久留米、柳川の攻城戦。そして伊東氏への働きかけは、家康の念頭にある、徳川政権成立後の九州における大名配置を考えての行動とも思えます。

Frco・Don・記


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