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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

茶人が見た筑前での黒田如水【軍師黒田官兵衛百物語99話】

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筑前での官兵衛を知るのに、前回ふれた筑前宗像郡に残された官兵衛の書状の他に、博多の豪商で茶人でもあった神屋宗湛の「宗湛茶の湯日記」があります。
同茶会記の中に黒田筑前入府後の官兵衛が参会した九会が記録されています。
九会中、最初の会は慶長六年(1601)十月九日で、「口切り」の茶事とされる、その年の新茶を初めて使う茶会を黒田長政が主人となって行われた会でした。

武勇ばかりが語られる長政ですが、父・官兵衛ゆずりの茶人としての顔も持っていたのです。長政遺愛の茶道具も相当な数、黒田家には伝えられています。

翌、慶長七年(1602)正月十五日には宗湛邸で官兵衛を主客に、長政と肥前唐津藩初代の寺沢広高(志摩守)が相伴で宗湛が振る舞っています。
志摩守は関ヶ原の合戦後の九州における、徳川幕府と諸大名の間の取り次ぎ役と位置づけられていました。黒田藩主父子と、筑前を代表する商人とによる幕府代官役の接待という性質の会でした。

宗湛の茶会記に限らず、堺衆の津田宗及や今井宗久などが残した、他の茶会記も含めて官兵衛が主で振舞いを行う唯一の茶会が、同年十二月二五日付で記録されています。
正客は宗湛。他に二人、宗湛の仲間である博多商人衆が相伴でした。
この会で官兵衛 は、床に「相逢道人漆雙瞳」で始まる、中国・南宋時代の禅僧・虚堂智愚の書を懸けています。
同書は現代まで伝わり、現在、東京国立博物館(サイトURLはコチラ)の所蔵となっています。

智愚の書は、その評価が高く数点が現代まで伝来しますが、そのうちの一つを所持し、床に飾った官兵衛の茶の風格の高さが偲ばれます。

この茶会は長政による「口切り」の会と同様に、鳥飼別邸と呼ばれていた、建設中の福岡城の西に広がる後に、大濠と呼ばれることになる邸の茶室で行われました。

大濠を介して、当時は建設中の福岡城を望むことになる鳥飼別邸辺りからの眺望を、時代が下りますが幕末の文人画家・奥村玉蘭が描いています。

官兵衛が「利休流 」を任じていたとは過去にふれましたが、利休の風韻を伝えるようなこの眺望とともに、「宗湛茶の湯日記」の中に、最晩年の茶人として官兵衛を現代に知ることができます。
Frco・Don記
つづく

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※奥村玉蘭・筑前名所図絵「千賀浦古跡図」官兵衛と長政が設けた鳥飼別邸の茶室は、千賀浦(草香江とも呼ばれていた、現代の福岡市中央区大濠公園)に臨む築城中の福岡城対岸にあった




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