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吉田松陰と松下村塾 名脇役

リア充な極楽別荘ライフだった吉田松陰の監獄生活【吉田松陰と松下村塾百物語第4話】

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松陰が獄中に書物の差し入れを受けて、大変な分量の読書をおこなったことはよく知られていますが、差し入れは書物の他に金銭・衣類・食物と多品目にわたり獄中生活を支えてくれました。

安政元年(1854)三月の下田でのペリーの米国軍艦への乗り込み失敗の後、松陰は、江戸伝馬町の牢につながれました。牢では、袷(あわせ・裏地のある和服)・帷子(夏向けの麻の着物)、ウナギ飯・砂糖・薬などの差し入れを受けたことを松陰は日記に記しています。これらの品々は、在江戸の友人達が用意し届けたものです。盟友の肥後人・宮部鼎蔵が届けたはずの金3両の行方がわからなくなるということもありました。金銭の場合は松陰の元に届くまでに、牢役人の懐に入ってしまうということもあったようです。

入牢と同時に「決め板」という、尻を板で一撃される獄中では新入りとしてのお決まりの洗礼を松陰は受けるわけですが、これらの金品を牢内の先輩達にお裾分けすることで、お客・若隠居・仮座隠居・二番役とあったという牢内の位をあっというまに駆け上り、添役という牢名主に次ぐ位へと出世します。

松陰は豊かで快適な獄中生活を送るのでした。

のち裁定があり松陰は国元の長州・萩城下の野山獄へと引き移ります。

萩城の天守台跡

萩城の天守台跡

野山獄での獄中生活は1年2ヶ月に及びますが豊かさと快適さを、一層、増すことになります。

入牢初日の安政元年(1854)十月二十四日には衣類については夜着から鳥綿羽織まで、布団・机・定規・算盤などさまざまな文房具類、たらい・雑巾などなど生活用品が用意されます。なお、松陰が入った牢室は畳2枚に1畳分の板敷きがある広さでした。

兄の梅太郎は毎日面会に訪れています。「新井白石の 折焚柴(をりしばたく)など読んでみたい」など呑気なことをいいながら、寿司、鯨、なまこなど海産の珍味が食事に並んだことが日記に記録されています。叔父・玉木文之進に南蛮餅(おそらくカステラのこと)を差し入れてもらってもいます。

年が変わった安政二年正月七日の食事は鯨と漬け物で、餅が15個ばかり差し入れられています。同囚の人物から餅をおごってもらったから、お礼に返すのに餅を多めに差し入れてくれなどと梅太郎に頼んだりもしています。

こうして、いよいよ、豊かで快適な獄中生活を送りながら政・経・文にわたる書、614冊を松陰は読んでしまいます。

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