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吉田松陰と松下村塾

吉田松陰について初めて発表したのはイギリス人の「ジキル博士とハイド氏」著者だった【吉田松陰・松下村塾百物語その2】

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吉田松陰のわずか30年の生涯を扱う伝記は、これまで多々書かれていますが、最初に彼のことを一文にまとめて発表したのは「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」知られるイギリスの文豪、R・L・スティーブンスンでした。

「ジキル博士とハイド氏」「宝島」などで知られるロバート・ルイス・スティーヴンソン(Wikipediaより)

スティーブンスンは1880年に、松陰刑死後21年後のことですが、「コーンヒル・マガジン」という雑誌上でヴィクトル・ユーゴ、ホイットマン、ソロー、フランソワ・ヴイヨン、ジョン・ノックスなどの伝記を連載します。3月に「YOSHIDA-TORAJIROU」(吉田寅次郎)として松陰について紙面をさいています。その後、連載は「FAMILIAR STUDIES OF MEN AND BOOKS(人物と書物に親しむ)」という表題の単行本にまとめられます。

松陰門下生正木退蔵による口コミで

どうやってスティーブンスンは松陰のことを知ったのでしょうか。
後に東京工業大学の前身の東京職工学校の初代校長となる、松陰の門下だったという長州人・正木退蔵が、外国人のお抱え教官を探すために渡英していました。スティーブンスンは、その退蔵と共通の知り合いだったエジンバラのジェンキンスという大学教授宅での晩餐会に同席し、退蔵から聞いた松陰の話を伝記にまとめたのでした。

正木退蔵の渡英がなければスティーヴンソンの「YOSHIDA-TORAJIROU」はなかった(山口県HPより)

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無名だがいつか有名になる!

「YOSHIDA-TORAJIROU」でスティーブンスンは「吉田寅次郎という人物は、おそらく英国の読者諸君にとっては全く知られていない人物だと思う。しかし、この人物はいつかガルバルディ(イタリアの愛国志士)やジョン・ブラウン(米国の急進的奴隷廃止論者/後に絞首刑)のようになじみのある名前になるだろう」と冒頭述べています。

「大丈夫はむしろ玉となりて砕くべし、いずくんぞ瓦となりて全することあたわず(志士は瓦となって生命を全うするより、玉となり砕け散るべし)」との松陰が特に好んだ言葉、あるいは精神に魅かれての起筆だったといいます。

松陰は東北への遊歴を行う際に、友人の仇討ちを助けることを計画したことから、藩主・毛利敬親に迷惑が及ぶのを恐れて脱藩します。この脱藩劇についてもスティーブンスンはふれています。
ところが、このわが国藩政期(江戸時代)特有の主従間に通じていた機微によって松陰がとった「脱藩」という行動については、英国人たるスティーブンスンの理解の外にあったようで、正直に「このことに関しては、私は充分に説明できない」と断りを記しています。

このスティーブンスンによる松陰伝記については翻訳家・よしだみどり氏が知られざる「吉田松陰伝」-『宝島』のスティ-ヴンスンがなぜ? (祥伝社新書173)として一書にまとめているところです。

国内で初めて書かれた松陰伝は明治二十四年(1891)に維新史史料の編纂を手がけた野口勝一と富岡政信の共著によるものです。スティーブンスンの「YOSHIDA-TORAJIROU」の刊行は、同書発刊の11年前のことです。

Frco・Don・記

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つづく




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