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吉田松陰と松下村塾

破天荒な松陰を支えた堅物すぎる「警察官」の実父杉百合之助【吉田松陰と松下村塾百物語8話】

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大河ドラマ「花燃ゆ」では、幕末ながら多くの登場人物が軽い人間に描かれていますが、長塚京三演じる松陰の実父の杉百合之助(杉常道)だけは寡黙な人物として演じられています。

前回「大河と違って出来過ぎだった吉田松陰と文の母・瀧子【吉田松陰と松下村塾百物語7話】で、実際の百合之助は、不要なことを一切口をにしない人だったとふれました。

 

わずか三十年に満たない生涯で、松陰は大変な数の手紙を書きまくっていますが、父・百合之助が宛名になっているものはほとんどありません。お金の無心や、身の回りことについての消息を伝える手紙であっても兄・梅太郎宛になっているおのがほとんどで、あっても梅太郎と百合之助の連名になっています。珍しく父宛になっているものは、簡単に用件のみが記されています。

松陰の手紙は、あふれる思いを、これでもかと文面にたたきつけた感のあるものばかりですが、子ども達にも無駄口をたたく暇があれば本を読めとうるさく言っていた百合之助への手紙は、簡潔明瞭に書く事を心がけていたようです。

徳富蘇峰「吉田松蔭伝」には百合之助について「敬神家にして忠摯篤実なる循吏」なりとあり、神を敬い、忠実で純良な藩士だったことを伝えています。

朝は、家族のなかで一番に起きると、まず、身を浄め神棚へ清水を供えた。藩祖・毛利元・輝元公の墓所に参じる折りには、上下の着衣を改め頭髪を整えた。夜、外出する時は路傍で知人と会うことを避け、他家を訪ねては、用件をすますとそそくさと立ち帰ったといいます。

毛利輝元像 萩城跡公園

「杉百合之助」、筋金入りの堅物でした。

百合之助は、文化元年(1804)2月23日に生まれました。文政13年(1830年)生まれの松陰とは、現代なら「大正生まれ」と「昭和生まれ」ほどの違いがあったのかもしれません。しかも、天保の藩政改革で盗賊改方に抜てきされています。言ってみれば、警察官。そんな百合之助ですが、牢屋から出され謹慎中の松陰に、松下村塾を開くよう勧めた大恩人です。

なお、百合之助は、明治維新を見ることなく、慶応元年(1865)8月29日に62歳でなくなりました。

FrcoDon・記

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