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朝ドラ『とと姉ちゃん』小橋常子のモデル大橋鎭子(しずこ)の功績 暮しの手帖を創刊した敏腕編集者だった

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4月4日からスタートのNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』。

「とと」とは「父ちゃん」を表す言葉で、早くに父を亡くした三姉妹の長女が、主人公かつ父親役も務めたことから同ドラマのタイトルになっているが、今回、女優の高畑充希(みつき)さんが演じるヒロイン・小橋常子とは一体いかなる人物なのか。

『暮しの手帖』を創刊し、主人公のモデルとなった女性編集者・大橋鎭子(しずこ)の生涯と功績を追ってみよう。

 

『お母さんを助けて、妹の面倒をみるように』

史実の大橋鎭子が生まれたのは1920(大正9)年のこと。

東京・麹町で大橋家の長女として生を受け、1年後、父親の転勤によって北海道へ移住すると、その後は、次女、三女と姉妹に恵まれた。

が、ほどなくして父親が肺結核を患ってしまい、再び東京へ戻って看病に励むも、5年ほどで死亡。このとき鎭子は小学校5年生(11歳)にして喪主をつとめたというのだから、幼い頃からシッカリした性格かつ聡明だった人物像がうかがえよう。

『お母さんを助けて、妹の面倒をみるように』

そんな父の遺言を受け止めた鎭子は「家族をしあわせにしなければ」と心に誓うと、まずは1937年に東京府立第六高等女学校を卒業。その後、日本興業銀行での勤務を経て、日本出版文化協会の『日本読書新聞』に勤めるのであった。

実は日本興業銀行に入った後、彼女はいったん同銀行を退職して大学に通っている。それが『あさが来た』のモデル・広岡浅子が創立に携わった日本女子大学であるのだから、「あさ」の理念も鎭子の中に流れていたのかもしれない。

が、運悪く鎭子もまた父と同じく肺結核となり、退学へ追い込まれてしまうのだった。

 

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花森や妹たちと「衣装研究所」を設立

病気療養を終えた鎭子は、『日本読書新聞』で天職の編集業に携わる。そしてそれ以上の巡り合わせだったのが、花森安治との出会いだった。

「女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい」

そんな理念を抱いていた鎭子に対し、花森は協力を快諾。

もともとデザインの仕事をしていた花森と共に1946年、「衣装研究所」を設立すると(2名の妹も参加し全員で5名)、まずは『スタイルブック』という雑誌を創刊した。

ちなみにここでいう花森のデザインとは、いわゆる洋服のデザインやイラストの作画などではなく、雑誌や新聞、書籍の紙面レイアウトのことで、本作りには絶対に欠かせない作業である。

具体的には、文章やイラストの配置、文字フォントの選択などが主な内容だが、そもそも美術史学科を専攻し、広告デザイン業にも携わっていた花森にとってはまさしく得意分野であったハズ。現在は、ノートPC一台でも十分にこなせてしまう時代だけに、当時の作業がいかに行われていたかを見てみるちょうど良い機会かもしれない。

 

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商品を実際に使用、レビューする『暮しの手帖』が大当たり

「衣装研究所」を設立した鎭子に、大きな転機が訪れたのは1948年のことだ。この年、花森が編集長として『美しい暮しの手帖』を創刊したのである(1953年に『暮しの手帖』へと変更)。

骨のある紙面づくりで独特のポジションを築いた同誌は「衣食住をテーマにした内容」で、広告に頼らないスタンスが読者からの高い支持を得た。今でこそ珍しくもなんともないネットのクチコミレビューであるが、当時、消費者目線に立って実際に商品を試してみる――という企画は、かなり画期的であり、それが大当たりしたのだった。

そして彼らはこれを機に、社名も「暮しの手帖」に変え、社長兼編集者として鎭子は更に仕事に没頭する。

社員に会うと「なにか面白いことはないかしら?」と聞くのが彼女の口癖。そんな、いかにも編集者らしい一面を見せる鎭子を部下たちも慕っており、普段から尊敬の念を込めて「しずこさん」と読んでいた。彼女の人柄を顕著に表すエピソードであろう。

 

93歳で亡くなる前年まで仕事に励んでいた!?

鎭子は自らも筆をとり、日常のささやかな出来事を記した連載「すてきなあなたに」が東京都文化賞を受章(1994年)。受賞理由は「戦後の一般の人の暮しを豊かにした」とのことで、背景に『暮しの手帖』の存在があったことは言うまでもないだろう。

また、ときを遡るが1958年には米・国防省の招待で出かけた視察旅行で、在NYのペアレンツ・マガジン社から「雑誌を通じた子どもや家庭への貢献」を理由に「ペアレンツ賞」なるものも授与されている。

かように執筆、編集、または経営に没頭した鎭子は、2013年3月23日、肺炎のため永眠――。享年93歳であったことは驚きだが、最も驚嘆させられるのは亡くなる1年前まで仕事を続けていたということだろう。

同社がご本人に行ったインタビューによると、「どんな子供だった?」という質問に対し、彼女はこう答えている。

「ガキ大将。近所の子供達を引き連れて畑を走り回った」

まさに「とと姉ちゃん」の異名に相応しい人生だったようだ。

青葉 ダイ・記

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【参考】暮しの手帖社 大橋鎭子/Wikipedia

 




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