『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮』波乱と悲劇、恋に生きた女王 「ハイランドクイーン」の伝説が甦る!?

 

もしもスコットランドが独立したら女王はどうなる?

2016年も折り返し地点を過ぎ、振り返ってみると今年も歴史的な事件が起こりました。ヨーロッパに目を向けると、重大なニュースとしてあげられるのが6 月のEU離脱を決めた国民投票でしょう。

投票結果は南北くっきりと見事なまでに分かれました。南のイングランドが離脱の赤、北のスコットランドは残留の青。これを機に、一度は沈静したはずの議論が蒸し返されます。

それが2014年に国民投票で否決された「スコットランド独立」です。

そうなるといろいろと疑問がわいてきます。例えば、もしそうなったらば国旗のユニオンジャックはどうなるか。これは簡単です。白地に赤十字のイングランドの旗が既に存在します。スコットランドが抜けただけではアイルランドは残るため、白地に赤い米印になる可能性もありますが。

さらに女王はどうなるか、ということがあります。

こちらは4世紀前まで逆戻りすることでしょう。エリザベス2世はイングランド王位のみ所持することになり、スコットランド王位は失うわけです。くしくも同じ名前の英国女王、エリザベス1世(1533-1603、在位1559-1603)と同じ、イングランドのみの王となるわけです。

エリザベス1世の在位は1558年から 1603まで。同い年の戦国武将は島津義久と石川数正。そこまでさかのぼらないと、イングランドのみの王はいないわけです。改めてBrexitはとんでもない歴史の可能性をこじ開けてしまったのだな、としみじみ感じます。

【TOP画像】メアリー・スチュアート/wikipediaより引用

 

伝説的な「ハイランドクイーン」として慕われる

それではスコットランドのみの王位を最後に保持した人物は誰か?

それは現在に至るまでスコットランドのアイコン、伝説的な「ハイランドクイーン」として慕われるメアリー・ステュアート(1542−1587、在位1542-1567)です。日本人でいいますと、徳川家康と同世代。

彼女は生後僅か6日で即位しました。生まれながらの女王と書くとなんだかロマンティックですが、父親が30歳で急死したのを受けての即位となると、むしろ差し迫った危機感をおぼえます。メアリーの父であるジェームズ5世は、母方の叔父にあたる隣国のイングランド王・ヘンリー8世との戦いに大敗。それが原因となって失意のまま崩御したのです。

敗北したジェームズ5世は、臨月の王妃が産むのがせめて男児であればと切望しましたが、待望の世継ぎはなんと女児でした。

「マジかよ……女かよ」

王女誕生の知らせに、失望をさらに深めて死を迎えたと言われています。

父の死により幼少の王が即位となるといかにも無理ゲーな気がしますが、実はメアリーの父も、祖父も、そのまたご先祖も……ステュアート朝のスコットランド王は、三代目から全員が40代以下で崩御しています。さらにさかのぼっても、スコットランド王が穏やかに死ぬということ自体が、そもそも珍しいほどです。
有名なスコットランド王といえば、シェイクスピアの戯曲で有名なマクベス(在位1040年–1057年)がいます。王位簒奪のためならば手段を選ばない奸雄というイメージが強く、実際そうではあるのですが、スコットランド史を調べていくと「むしろマクベスくらいが平常運転」と思えてきます。

誤解がないように言っておきますが、これはスコットランド人がやたらと謀略気質であるとか、そういうことではありません。

スコットランド王権が隣国イングランドほど強くなかったこと、そして氏族(clan)が分裂し、なかなか団結しなかったことが原因ではないかと思われます。氏族の争いは、戦国時代好きなら「国衆」の争いのようなもの、と思えばよいかと思います。国衆をまとめあげ勢力を延ばした武田家は、勝頼の死による滅亡後、国衆が互いに競い合いなかなか混沌としていたことが今年の大河ドラマ『真田丸』序盤で描かれました。スコットランドも同様に氏族同士で争っていたことを、頭の隅にでも入れておいてください。

美魔女ディアーヌ・ド・ポワチエからも影響を受け

そんなスコットランド王位を、女性で、しかも赤ん坊のうちに継いだメアリー。波乱の人生の幕開けです。
まだ乳児の彼女は母の母国であるフランスに逃亡、フランス王・アンリ2世(1519-1559、在位1547-1559)の宮廷で育てられることになります。

当時のフランス宮廷はまさにトレンドと陰謀渦巻く場所でした。王妃のカトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)がイタリアから持ち込んだ洗練されたマナー、料理、化粧品は各国宮廷あこがれの的。メアリーは国王の愛人で、なんと王より20歳以上年長ながら寵愛を受けていたという伝説の美魔女ディアーヌ・ド・ポワチエらからも大きな影響を受けました。

最新のファッションとコスメ情報、さらに美魔女からの愛されテクを学び、メアリーはチャーミングな女王として成長していきます。

しかもメアリーはただの客人でありません。彼女はドーファン(フランス王太子)のフランソワ(1544-1560、フランソワ2世として在位1559-1560)の婚約者であり、フランス王妃の座を約束されていたのでした。スコットランド女王(クイーン)、フランス王妃(クイーン)、二つのクイーンとしての冠を手にしたメアリーはまさしく絶好調でした。

このころメアリーは、のちの禍根となる行為をしてしまいます。彼女は冠が二つでは足りなかったのか、三つ目に手を伸ばしたのです。

 

2つでは飽き足らずイングランドの冠も要求する

1559年、アンリ2世は馬上試合での不可解な事故により崩御します。夫が即位したことにより、メアリーはフランス王妃となりました。

同年、彼女より10歳年上であり、親戚でもあるとある王女が、イングランド女王として即位しました。エリザベス1世です。この時メアリーは、「正式なイングランド女王はこの私でしょ」と抗議したのです。メアリーはスコットランド女王、フランス王妃、二つのクイーン(※Queenには女王と王妃という意味があります)の冠だけでは足りず、イングランド女王という、三つ目の冠すら要求したのです。

これはどういうことでしょう。エリザベスの母アン・ブーリンと結婚するため、イングランド王ヘンリー8世は妻と離婚しようとしました。しかしカトリック教会が認めなかったため、ヘンリー8世はカトリック信仰を捨て、プロテスタントの英国国教会を創設し、自らその首長となりました。エリザベス1世は英国国教会の基準では正式な結婚から生まれた英国女王となるわけですが、カトリックからすれば「正式な離婚が成立しないで生まれたからには、エリザベスは庶子に過ぎず王位継承権はない」わけです。

一方、メアリーは祖母がヘンリー8世の姉マーガレット・チューダーで、イングランド王の血統です。エリザベスの王位継承権が認められないのであれば、メアリーこそがイングラント女王となるわけです。

英単語に「Bastard」という「ろくでなし」という意味のかなり強い罵倒語があります。この単語の元の意味は「庶子」。「アンタなんて所詮庶子でしょ」と言うのはかなり痛烈な罵り言葉です。エリザベスにしてみれば、これは到底許せない物言いでした。メアリーはこのあともことあるごとに「私が真のイングランド女王でしょ!」と言い張り、エリザベスを煽り続けます。

幼い頃から母を処刑され、姉から投獄された経験もあるエリザベスは、忍耐強い性格です。そんな彼女も内心怒り狂っていたことでしょう。

そんなエリザベスが溜飲を下げる事件が起こりました。フランソワ2世は在位わずか一年余りで急死してしまい、メアリーはフランス宮廷を追われてしまったのです。メアリーが懐妊中であれば、あるいはフランソワの弟と再婚できれば、話はまた違ったのでしょう。しかしメアリーは姑のカトリーヌによほど嫌われていたのか、お払い箱だとばかりにスコットランドへ追い払われてしまうのでした。

 

母国での困難な船出と、不幸な結婚

かくしてメアリーは、幼少期を過ごしたフランスを離れスコットランドに戻ります。

当時最先端流行をゆくフランス宮廷で育ったメアリーには、母国スコットランドは陰鬱な田舎に思えたとしても仕方ないでしょう。またスコットランド貴族にとっても、女王はチャラチャラしたフレンチギャルとして映ったことでしょう。とりわけ異母兄マリ伯にとってメアリーは憎たらしい存在でした。

マリ伯ジェームズ・ステュアートの母は貴族の娘として生まれ、ジェームズ5世との間に男子をもうけました。しかし王はフランスの援助を得るため、政略結婚でフランス名門貴族出身の王妃を娶ることに。先に生まれていた男子は、マリ伯とされました。本来あの小娘より、自分の方が王にふさわしいはず……マリ伯が嫉妬のまなざしでメアリーを見つめたとして、何の不思議がありましょうか。

さらにもっと深刻な齟齬が、君臣の間にありました。

スコットランドではプロテスタントが広まり国教にまでなっていたのです。両親ともにカトリックであり、幼少期をカトリック信仰が盛んなフランスで育ったメアリーにとって、プロテスタントは到底受け入れられません。彼女にとってプロテスタントを認めるということは、エリザベスをイングランド女王として認めることにもなります。

こうして君臣間がぎくしゃくしたまま、うら若く美貌の女王は、再婚相手探しに乗り出します。ファッショナブルな美女、しかも女王となれば縁談がふるようにあってもおかしくありません。しかし、エリザベスはもちろんのこと、元姑のカトリーヌまで妨害をしてきます。婿選びは難航しました。

途方に暮れるメアリーの前に、やっと求婚者が現れました。従弟のダーンリー卿ヘンリー・ステュアートです。ダーンリー卿はイケメンで社交的な性格、カトリック、イギリス王家の血も引く文句なしのお相手です。メアリーはイケイケ美男のダーンリー卿に一目惚れします。度重なるエリザベスやマリ伯の妨害をも押しのけ、ついにメアリーは二度目の結婚を果たしたのです。

しかし、このダーンリー卿はとんでもない奴でした。結婚後、すぐに彼の粗暴な本性があらわになります。メアリーのお腹には新婚早々ダーンリー卿の子が宿ったものの、夫婦間の愛は急速に冷えてゆきました。

ダーンリー卿が気に入らなかったのは、メアリーが寵愛するリッチオというイタリア人音楽家の存在でした。いつでも最先端の流行を味わいたいメアリーにとって、ミュージシャンを宮廷に置くのは当然の趣味であったでしょう。二人が密通していたかは今となってはわかりません。
しかし、ともかくダーンリー卿はクロだと思い込み、ネチネチとメアリーを責め立てます。さらにダーンリー卿は、妻の目の前でリッチオを惨殺。血まみれのリッチオの屍を目にし、メアリーはショックのあまり流産しかけるほどでした。

こうして夫婦の仲は修復不可能になります。このカップルはとんでもない結末を迎えることになります。ダーンリー卿の宿泊していた館が突如爆発し、彼は死亡したのです。享年22。なんとも不可解な死でした。

 

スキャンダラスな三度目の結婚! そして転落へ

さらに不可解な展開がこのあと起こります。ダーンリー卿の死からわずか二ヶ月後、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンが女王を誘拐。その一ヶ月後、メアリーは誘拐犯のボスウェル伯と結婚したのでした。

もしこの当時、SNSがあったらどうなったことやら。いえ、SNSなんてない当時でも「腹黒女王」「とんでもない女だ」「自作自演乙」「夫殺しめ」「淫乱ビッチ女王」「淫乱フレンチギャル」「外道カトリック」とスコットランド国中にメアリーとボスウェル伯を非難する声があふれました。

さて、この事件は一体何でしょうか。
フィクションではメアリーがボスウェル伯と不倫していて、それで邪魔になったダーンリー卿を爆殺した説が採用されることが多いようです。リッチオの血を見たメアリーが、夫の殺害を堅く誓ったという話もよく採用されます。しかし、真相は闇の中です。

マリ伯はじめ、スコットランド中の貴族はメアリーに激怒しました。この修羅の国では、氏族を敵に回して王は存続できません。「外道女王」を引きずりおろすべく、反乱軍が兵をあげます。

メアリーとボスウェル伯の結婚からわずか一月でメアリーは反乱軍に敗北、廃位となりました。王位はまだ幼いジェームズ6世(1566年6月19日 – 1625スコットランド王としては6世在位1567-1625、イングランド王としては1世在位1603-1625)に継承されます。この翌年メアリーは再起をはかりますが、エリザベスの支援を受けたマリ伯に敗北してしまうのでした。

敗北を受け、夫のボスウェル伯は北欧へと逃亡。万事休したメアリーが亡命先に選んだのは、なんとイングランドでした。「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」とでも思ったのでしょうか。これに一番困惑したのはエリザベスでしょう。これみよがしに「やさしくしてね、従姉(遠い親戚)さま」なんて白々しく言うメアリーに、エリザベスはあきれ、困り果てたでしょう。

一見盛大な自爆にも見えるこのメアリーの行動ですが、実は生存を目標とするならなかなか理にかなったものでした。

飛んで火に入る夏の虫とばかりに、エリザベスがここでメアリー処刑をしたら、背後にいるカトリック勢力を怒らせてしまうのは必至です。喧嘩別れした法皇なんて今更怖くないにせよ、当時ヨーロッパ一の強大国であったスペインは脅威です。エリザベスはメアリーを迎え入れ、そこそこ快適な軟禁状態に置いたのでした。

メアリーの軟禁ライフは、そこまで悪くはありません。昼も薄暗く不気味なロンドン塔に幽閉されたわけではなく、それなりに礼を尽くした生活環境を補償されました。エリザベスとしても、もうおとなしく隠居状態でぬくぬくと暮らしてくれれば万々歳だったのでしょう。

誇り高き籠の中の鳥は、やがて自滅に向かう

エリザベスは、カトリックを恐れてメアリーを甘い軟禁生活を送ったわけではありませんでした。「処女王」と称されるエリザベスは独身で、当然世継ぎはおりません。

では次のイングランド王は誰か?
エリザベスから最も血統的に近く、正統性があるのはメアリーの子・ジェームズ6世でした。エリザベスが、母親を処刑して、その息子を王位継承者に指名するのは、流石にどうかと考えた可能性はあるでしょう。

しかし、メアリーがエリザベスの寛大さに心から感謝することはありませんでした。メアリーにとってエリザベスは、本来自分が持つはずのイングランド王位を横取りし続ける邪魔な存在なのです。もしメアリーが謙虚な性格ならば「そうは言っても今日快適に暮らしていけるのはエリザベスのおかげだし」くらいは思ったかもしれません。しかし、産まれながらの気高き女王であり、カトリックの後ろ盾があるメアリーはそんなふうには思いません。いざとなれば、エリザベスの天敵であるスペイン王・フェリペ2世だって味方につくはず、メアリーはそう考え、強気であり続けました。メアリーは性懲りもなく、エリザベスを排除し王位に返り咲く陰謀をめぐらせます。

とはいえ、メアリーは所詮籠の中の鳥。稚拙な陰謀はすぐエリザベスの家臣に察知され、防がれてしまいました。エリザベスもメアリーが陰謀に関与とした確たる証拠を得られないため、どうこうするわけにもいきません。

しかし1586年夏、エリザベス暗殺の陰謀「バビントン事件」にメアリーが関与したという確固たる証拠が出てきました。

こうなるとチェックメイトです。

もはやどうしようもなくなりました。家臣たちはこのままメアリーを生かせば次から次へと陰謀が起こると諫言し、エリザベスもしぶしぶ死刑執行書にサインします。それでもエリザベスはひっそりと処刑したかったのですが、家臣の「見せしめに、派手にやりましょう!」という意見を受け入れ、公開処刑に踏み切ります。処刑の報を受け、最後まで反対していたエリザベスはむっとした様子だったとも、泣き出したとも伝わります。

1587年、メアリー・ステュアート死去。享年44。生涯のうち19年間、ほぼ半分が虜囚扱いの人生でした。

 

「わが終わりにわが始まりあり」、死してのち輝く伝説の女王

スコットランド女王メアリーとは何者であったのか。

こうして人生をたどると、虚しく思えてきます。うまれながらの女王といえば華やかですが、彼女の人生全盛期はあっという間、二十歳になる前に過ぎ去りました。軽率で、脆弱で、立ち回りもうまいとは言えず、国中からそっぽを向かれたメアリー。同じような不利な条件から王位につくも、イングランドを小国から存在感のある国へと発展させ、その賢さから慕われたエリザベスとはあまりに差がありすぎます。

メアリーは生前、「わが終わりにわが始まりあり」という言葉を、刺繍の中に縫い込んだと言います。
この予言めいた言葉は現実になります。メアリーの遺児であるジェームズは、史上初のイングランドとスコットランド、二つの王国を統べる王となり、ステュアート朝の祖となりました。

さらにもうひとつ、メアリーはその死によって世界史上において大きな一歩を刻みました。それは王冠を戴いた者であっても、法のもとで処刑されるという前例をつくったのです。中世の王とは神に選ばれた存在であり、人を裁く法の枠外に置かれた存在でした。メアリーの処刑はそれを破ったのです。
エリザベスがメアリーの処刑に反対し、処刑の報告を受けてパニックに陥ったのは、あまりに大きな禁忌を破ってしまったからでしょう。エリザベスの懸念は現実のものとなり、メアリーの孫にあたるチャールズ一世は、清教徒革命による裁きにあい、断頭台の露と消えました。

メアリーの死が影響を与えたのは、歴史の分野だけではありません。
生前あれほど嫌われた、メアリーの軽率さ、恋に生きた奔放さ、そして薄幸ぶりは後世の人々に愛され始めたのです。さらに彼女の人生は、魅力的な登場人物に満ちています。エリザベス一世、カトリーヌ・ド・メディシス、ノストラダムス、ディアーヌ・ド・ポワチエ……脇役にこれだけの人物が揃っている人物は、なかなかおりません。

今やハイランド(スコットランドの愛称)の女王といえばメアリーのこと。馬に乗った彼女のエンブレムをボトルに描いた「ハイランドクイーン」のスコッチウイスキーをご存じの方もおられるでしょう。

メアリーは今や観光資源であり、スコットランドのアイコンです。マリー・アントワネット然り、非業の死を遂げた美女は死後愛されるのです。

メアリーの物語は、アレクサンドル・デュマ、シュテファン・ツヴァイクら、『ブーリン家の姉妹』の作者であるフィリッパ・グレゴリまで、多くの作家によって描かれました。
演劇、オペラ、映画、そしてテレビドラマまで、彼女は華やかなヒロインとして様々なメディアに出ずっぱりです。日本ですと、『ジョジョの奇妙な冒険』第一部のブラフォードとタルカスの主君としても知られているでしょう。

 

そして新境地のドラマが登場!?

そんな彼女を描く作品に、新たな境地が開かれました。

BSプレミアム 9月28日(水)放送スタート、毎週水曜 午後11時15分放映の『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮』です。

ん……第一回予告のサブタイトルが「メアリーと2つの恋」?

登場人物を見てみましょう(公式サイト)。

 

バッシュ(セバスチャン)
ランソワの異母兄。アンリ2世と愛人との子。王位継承権はないが国王に目をかけられている。メアリーに好意を抱く。

ローラ
スコットランド人。メアリーの幼なじみで女官。まじめで責任感が強い

グリア
スコットランド人。メアリーの幼なじみで女官。貴族出身ではないことを気にしている。

エイリー
スコットランド人。メアリーの幼なじみで女官。明るく誰にでも優しい。

以上、全員非実在オリジナルキャラでした。ちょっとオリキャラ多すぎませんかね。
さらに実在とはいえこの人も、随分と若々しいイケメンになっております。

ノストラダムス
医師で占星術師。未来を予言することができる。カトリーヌ王妃の庇護(ひご)のもとにある。

そして心を落ち着けてPR動画(リンク先はコチラ)を見てみましょう。

「やだ~マジイケメン~」
「二人とも好きなの! 選べない!」
えっ……?

なんか羽根が舞う中ダンスパーティしているぞ!
しかも壁ドンみたいな場面があるのは一体!?
一体、このドラマは一体何なのか。後編でそのレビューをお送りしたいと思います。

 

【レビュー記事】日本の少女漫画の世界観を超マジで作品化した海外歴史ドラマが凄い!
『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮』

 

参考文献:

 


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