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あさが来たレビュー

『あさが来た』ネタバレ感想レビュー第26週「柔らかい心」&全体を振り返っての総評

更新日:

 

おはようございます。いよいよ最終週です。保険事業を始め、大学を作り、実業家として、教育者として邁進してきたあさ。どんな結末を迎えるのでしょうか。

 

3月28日(月)

千代の娘は多津子と名付けられました。孫に命名した新次郎は、あさとともに病院へと向かいます。資産家が向かう病院にしてはこぢんまりしていますが、スタジオの予算がないということでしょうか。

加野屋に養之助が母とともに、兄に会いに来ました。最終週まで眉山家パートが入るわけですか。藍之助もつらいところは、あれだけ菊らに期待されながら、銀行で特に才能を見せる場面がないことです。ミカン栽培ではボルドー液を提案したから、あれで才能を示したと言えるのかもしれませんが。藍之助は見た目がまるで老けないのも、成長していないと思わせる原因になっています。

あさはビジネス雑誌の特集に載るなど絶好調の模様。一方で宜が、女子大の一年生があさの陰口を言っていると密告してきたそうです。「陰口言うなんて陰険! おっさんしかそんなことしないと思わないはず!」と言うあさ。うめは「女の敵は女」、はつは「陰口言わずに堂々と言え」とか言い出すわけですが。

いやあ、学生の悪口を腹心の配下に密告させて、ネチネチ言う大学経営者の方がよほど怖いです。無理矢理のちの平塚らいてうとの対決に持っていきたいからこんな展開なんですよね。うめに手を握らせるために雁助の脳天に石油缶を直撃させた脚本ですからねえ。無理矢理展開にねじこむためには、馬鹿げた話もやむなしなんでしょう。聞こえるように悪口を言う明、それをいちいち密告する宜、さらにそれを受けて本気で腹を立てるあさたち、みんなどうしてしまったんだ……広岡浅子のことをちょっと否定的に書き残しただけでこんな脚本を書かれる平塚らいてうが気の毒過ぎます。

それにしてもあさもはつも、権力勾配というものを理解していません。堂々と言え、と言いますが、たかが一学生が会社経営者にそうそう言えるわけがないじゃないですか。自分に何か悪いことを言われる要素があるのでは、と思うことすらなく一学生を許せないと語るあさは、教育者の資質がまるでないように見えて恐ろしいです。

うめも何をドヤ顔で「女の敵は女!」とか何を言っているんでしょうか? あさの炭坑を爆破したのも、あさの腹を刺したのも、男ではないですか。それにうめ、お前も女だろうが。男が言うならまだしも発言者が女だと「そうですよ、私は女、あんたの潜在的な敵!」と白状しているようで、いかにも間抜けです。あと、使用人同士でもいけずな主人の悪口を言ったりするんじゃないですかね。あさなんてあくが強い性格なのですから、うめはともかくとして他の使用人は呆れて悪口を言っていたとしても意外じゃありませんけどね。

一番がっかりは、あさ本人です。序盤から悪口陰口をたたかれていました。出しゃばる若奥様だ、と借金取り立てに走る姿をあざ笑われていました。炭坑でもバカにされましたし、商法会議所でも浮いていました。あさは何を言われても、バカにされても、まっすぐ前を向いてそんなことは気にしないと突き進んでいたではありませんか。それが誰も悪口を言えないほど強力な権力を手にしたら、密告を真に受け、いちいちこんなことを話し合うようになってしまったのでしょうか。なんとも情け無いヒロインですねえ。無理矢理女学生の明と対決させることをありきにしたシナリオが悪いんですが。今まで女同士の連帯を強調してきたわりには、一人悪口を言う女がいただけで「女の敵は女」とか言わせるシナリオのズレっぷりが、私は恐ろしい……素晴らしいドラマなのに、先週のヴォリンガー問答といい、これといい、くだらない会話で今まで築き上げてきた価値観を豪快にぶっこわしまくっています。

ついでにもうひとつツッコミますと、新次郎の「あさは女子供の武器を使わない」という台詞も引っかかりました。史実の広岡浅子ならそうですが、ドラマ版では五代との疑似恋愛的な感情があさの後ろ盾になっています。これは女の武器と思われても仕方ない状態です。さらにあさは確かに女の武器は使わなかったかもしれませんが、政府とべったりの実家という後ろ盾があったことは否定できません。この恵まれまくった強運を本人や周囲はどれだけ理解しているのでしょうか。あさという人物を、手放しで己の力だけで運命を切り拓いた人物と言えないのは、そんな事情もあります。

新次郎を検査した医者は、深刻なBGMを背景に、あさに新次郎はもう医者もさじを投げるほど深刻だと言います。それがなぜか西日刺す屋外であさが情感たっぷりに袖を掴むという、陳腐な演出です。五代が砂時計を見つめて死期を悟る描写が人気で、味を占めてしまったのでしょうか。死へ秒読み場面多すぎですよ。そのあとに続く、新次郎があさによりそって手を握る定番のカップル萌え場面はサービスですね。

 

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3月29日(火)

新次郎はあさとの結婚四十周年記念に木を植えます。

日露の外交交渉は決裂し、戦争となります。他社が加入者を広く受け入れる中、淀川生命は既存の契約者を守るため加入審査を厳しくするとあさが決めます。戦争景気で儲けたものの戦争は嫌いだと言うあさ。これは史実通りではあるのですが、経済的に発展することの方が戦争より大事と続けるのはどうかと思います。

明治の日本は日清戦争で莫大な賠償金を得ました。この勝利の結果、戦争は儲かると政府も国民も思ってしまったことが、のちの失敗へとつながってゆきます。経済の発展こそが戦争を回避するというあさの理屈は、偽善的でおかしく思えるのです。「戦争で儲かるところはあるけど、心情的には嫌い」程度の方がまだ台詞としてましだった気がします。

あさはここで引退宣言。事前に誰にも相談せず、いきなり言い出すあたりにワンマンさを感じます。終盤のあさは何を決めるにも独断専行過ぎて、このカリスマワンマン経営者が不在となると、加野銀行はもたないのではないか、信玄死後の武田家状態にならないか、と心配になってきます。

引退宣言のあとは、例の平塚明がふてぶてしい態度で乗り込んで来るのですが。

本日のあさと新次郎の会話で、本作の評価が私の中でまた落ちました。

あさは引退宣言の際、仕事ばかりしていてよい妻ではなかったと謝ります。新次郎は好きな仕事をすればええ、と言います。この場面に違和感があったのです。

何故あさが謝らねばならいあのでしょうか。謝るというのは罪がある、悪いことをしたと彼女が感じているということです。外に出て働き家庭を省みなかったことがそんなに悪いことなのでしょうか。

しかしあさが家庭を放置した妻とは思えません。家事はかわりにこなす使用人がいる。仕事の合間をぬって夫婦母子の対話もしている。例え外に出ていた時間があったとしても、幕末維新の荒波から家を救い大きく発展させた功績は、彼女でなければなしえなかったことです。そこまで偉業を成し遂げてもなお、頭を下げねばならないというこの卑屈さ!

新次郎の言葉もおかしいのです。いつの間にか彼の中では「あさが好きで仕事をしている」となっている……確かにあさにそういう面はあります。しかしそもそもあさが最初に加野屋の商売に関わったのは、新次郎が家業を放棄していたからです。新次郎は自分がだらしがないから働かせてしまった、今までありがとうとは言わないんですよ。正直どうかと思います。それでも新次郎は聖人君子扱いなのでしょう。外で働いてもええよ、と笑顔で言うだけで理解ある理想の夫なのでしょう。好き勝手をするならばこの夫婦はどちらも同じです。しかしその好きなことの中身がかたや仕事、かたや趣味道楽です。それなのに反省して謝るのは妻のあさです。どうなっているんだ、このドラマは!

昔の新次郎はそうではなかったと思うのです。夫が癒やしサポート役、あさがバリバリ働くタイプ。少なくとも前半は、通常の夫婦と逆パターンでうまくいっていると描写されていました。ターニングポイントは千代の誕生からです。このころから外で働くあさが罪悪感を覚える描写が増え、加野屋の商売が持ち直したとはいえ「好きでやっているから」とあさが言うようになり、そして千代は成長に従って母親を罵倒するようになりました。働く女性を応援すると見せかけて、背中を押しながらスティグマを刻みこむような、そんな嫌な感覚が出てきたと思います。

やはり本作も朝ドラか、と思います。朝ドラって結局、働く女性を応援すると見せかけながら、出産育児家事以外に生きがいを見いだすヒロインに冷たいですよね。本作は『まれ』のように露骨ではないぶんほっこりと誤魔化されますが、結局はあさの生き方にケチをつけているように思えるのです。外で働くような女は、成功しようと罪悪感を抱えて生きろ、そんなメッセージを感じます。

 

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3月30日(水)

今日回収された伏線は、あさの「パチパチはん」がなぜ梅の木で出来ていたかということです。算盤を持って踊っているあさを見て、新次郎は音がよくなるように考えて梅にしたそうです。また梅は春一番に咲く花です。新しい世で一番に活躍する女性であるあさを、梅の花にたとえたのでしょうか。こういうところへの気配りは良く出来ています。

そこまで考えられる新次郎なのに、あさが仕事より自分を取ると言うと意外な顔をするのは何故なのでしょうか。これって性別を逆にして「私と仕事なら仕事を取るんでしょう?」と言うヒロインなら相当うざったいと思うんですけどね。

あさは亀助に引退するなと釘を刺します。自分は強引に引退しておいて、年上の亀助の引退は止めるなんてアンタは鬼や!

ここで平塚明とあさの問答。宜が、文句があるなら堂々とあさに言うべきだと明を煽ったそうです。手紙一本で済むところをわざわざ乗り込むということは、よほど言いたいことがあるんでしょうなあ。

明「あんた話長い、自慢たらしい、ウザい、傲慢」

あさ「なかなか見所がある奴じゃねえか」

要約するとほぼこんな感じ。ナイスBGMで盛り上げていますけど、中身がスカスカやんけ……ヴォリンガー問答と同じ論点ずらして勝利宣言系やんけ。しかもここで千代があさの援軍に回るのですが、過去の自分が母親にひどいことを言ってきたのをさっぱり棚上げしているので、もう気分は「黙れ小娘!」でしたね。なんでこんなしょうもないもんを時間がない最終週に盛り込んだのやら。わざわざこれだけのために大阪に乗り込んできた明は暇だったのでしょうか。

このあと美和と平十郎の対話が。

『あさが来た』美魔女・美和の「ドS命令プレイ」に朝からゾクゾクする視聴者続出!「完全にご褒美回」 - AOLニュース

http://news.aol.jp/2016/03/29/asagakita

まあ、美和さんもいい歳ですからねえ。そろそろ店も畳んで頼れるパトロン見つけて楽隠居したいでしょうねえ。平十郎は資産もあるしお人好し、最高のターゲットではありますわなあ。意地の悪いことを書いてしまいますが、うめや雁助と違い、交情が描かれて来ませんでしたから、そういう打算目当てに見えなくもないんですよねえ。どうせ不老の吸血鬼みたいなキャラなら、いつまでも元気でお店を経営しています、の方がまだマシだった気が。

あさが亀助に引退するなと釘を刺した時も思いましたけど、第一週時点でうめ、亀助、美和あたりは二十代から三十代だったと思うんですよね。それから半世紀ほど経ているわけですから、今は七十代から八十代でしょう。しかも明治時代ですから、現在と比較するとプラス二十才くらいの感覚でしょう。その年齢で引退を許してもらえないとか、色っぽいモーションかけるとか、流石におかしくはありませんか。脚本家の方はインタビューで、役者同士を見ていて予定を変更してカップリングしてしまうと語っておりましたが、年齢くらい考慮してくださいよ。年代スパンが長い朝ドラではよくあるやらかしから、本作も逃れられませんでした。

それと本作って夫婦愛をテーマにしながら、実在人物の夫婦愛をぞんざいに扱っている気がします。配偶者が抹消された五代、平十郎、宜。妻の存在こそ消されなかったものの、妻がくだした苦渋の決断がカットされた成澤。うめとのロマンスのために妻を貶められているように見えた雁助。こういうところはどうかと思います。

 

3月31日(木)

今日のアバンは新次郎の三味線に、うっとりしみじみと耳を傾けるあさでした。

新次郎の元に懐かしい面々がやって来ます。その中には、妻に先立たれ、婿夫妻に家業をゆずった雁助もいます。妻もいなくなったし、文通からでも始めようか、とうめといい雰囲気なのですが……雁助は初期の時点でバツイチの大番頭でした。あれからほぼ半世紀ということは、アラウンド90だと思うんですけれども。前述の通り、当時の90って今の百才過ぎの気がするんですけど。恋愛に年齢はないとはいえ、流石におかしいでしょう。

何度か愚痴っておりますが、うめと雁助の淡い大人のロマンスが好きだったんですよね。もうサービス精神旺盛で台無しですよ……雁助の死を知り一人そっと涙を流すうめとか、そういう終わり方ではいけなかったんですか。余韻も何もあったもんじゃありませんよ。

成澤は大学から初の卒業生が出たと報告に来ます。史実でのあさは記念すべき第一回卒業式に当然参加しているのですが、おそらく卒業式のセット代節約のためにカット。宜は大学教授を目指すそうです。サカエも夫の理解を得て、大学進学を目指すとか。

すっかりレギュラーと化した大隈夫人は、よい妻ではなかったというあさを全面的にフォローし褒め称えます。こういうところのバランス感覚が巧みっちゃ巧みですよね。この間私が散々愚痴った「よい妻ではないというスティグマ」を大隈夫人が解消させる流れですからね。あれだけとんがっていた千代も、すっかり母親を敬愛するようになっています

そういえば大隈夫人によれば、成澤は福沢諭吉、新島襄と並ぶ明治三大教育家と呼ばれているそうです。

森有礼「解せぬ」

明治六代教育家は知っていましたが、三大教育者は知りませんでした。うーん……でも森有礼らを差し置いて成澤ってことはあるのかな。彼も確かにがんばってはいますけれども。

今日のラストは新次郎が唐突にばったり倒れる場面です。うーん、この演出は玉木さんの発案だったらしいのですが。そういえば以前、ほっかむりして千代に話しかけていたあさが萬谷に刺される場面も唐突でコントっぽかったことを思い出しました。これはどうかなあ。

そういえば今日気になった点その一。平十郎の立命館大学創設は結局やりそうもないということ。変な口癖をキャラ立てに使われ、活躍の大半をあさに取られ、立命館創設まで削られ、妻は亡き者にされ、オリキャラの美魔女と強引にくっつけられる平十郎。不憫でなりません。

気になった点その二。東柳の妹は出さないようですが、そうなると先週のヴォリンガーさんがただの変な問答をした外国人になってしまうのですが、それはよいのでしょうか。

 

4月1日(金)

先週の金曜日は惣兵衛、そして今週は新次郎。本作は金曜日退場が多い気がします。新次郎が倒れあさは呆然とします。この場面の演技はよいのですが、惜しいのは演出です。まず、パチパチはんが新品同様に見える。もうひとつ、ゆで卵のようにぷりぷりした波瑠さんの肌が綺麗すぎて、歳月が感じられない。年月を経たように見えないひと、ものというのは本作の持つ欠点でしょう。榮三郎も、いつまでたっても若々しいですね。

あさは大隈夫人に慰められてもふっきれず、やはりよい妻ではなかった、もっと手を繋いで歩けばよかった、と言います。明治の夫婦像として手を繋いで歩くってそんなに一般的なのか、とは思ってしまうのですが、それよりも本当に最後まであさの心にスティグマを刻み続ける脚本だな。

新次郎は朝まで持たないと医者が死亡宣告をしますが、実は言うのも野暮ですが史実より死があとに倒されています。ここは夫婦二人きりにするうめの仕事ぶりがよいですね。

新次郎の死……おそらく本作ナンバーワンの人気キャラで、私も好きな人物なのにどうにも食傷気味なのは、同じような死のパターンを繰り返してきたからだと思います。本作は個々人の退場を長々と重たく描きすぎている気がするのです。本来ならば新次郎やあさより先に寿命が尽きていそうな重要人物の雁助、亀助、うめ、美和がぴんぴんと生き延びているのは、彼らを死なせるとなると圧倒的に時間尺が足りなくなるからでしょう。キャラクターを大事にして、余韻を残して退場させるのは立派な心がけかもしれませんが、おかげで後半は病床と死によって話が圧迫されてしまった気がするのです。おまけに新次郎の死は、正吉と五代を組み合わせたような描写で、既視感がありすぎるのだから困りものです。本作ドラマ全体の出来は『マッサン』よりよいと思うのですが、しめくくりと配偶者の死の描写は『マッサン』に遠く及ばない気がします。

こうして振り返ってみると、五代は本作の功罪あるバランスブレイカー、ドラマクラッシャーだったんですね……年末予定だった彼の死を無理矢理引き伸ばしたせいで後半あさの事業が描写不足になった。彼に死が迫る描写が好評だったせいか、二番煎じの死が増えた、という。

新次郎の葬式では、千代が父を道楽者と呼ぶ弔問客に怒ります。ここは笑いどころというのはわかるのですが、千代にはやっぱり「黙れ小娘!なんという底の浅さ、人の見る目のなさよ!」ですね。

千代……客観的に父親を見ていなかったんでしょうか。母親の働く背中だけを見ていたんでしょうか。あれだけべったり父親と一緒にいながら、働かずにいたことは忘れてしまったのでしょうか。幼少期、うちは母が働き、父が働かないからおかしい、とか疑問を口にしていた気がしますが。そんな底の浅さで母親をあしざまに罵っていたのかと思うと、今はもう和解したとはいえコイツは何だったのか、と思わざるを得ません。なんでこの人は、働く母親に反発して、ニートな父親のことは尊敬していたんでしょうか。逆の方が自然な気がするんですけど。

もうひとつ、葬式で雁助、亀助、うめ、美和あたりのお達者クラブがぴんぴんしているのに違和感が。玉木宏さんの老け演技がうまいだけに、新次郎と同年配あるいは年上の人物が若々しいと、時空の歪みを感じて混乱します。

そんな意地悪なつっこみをしていると、あさが外に出ます。すると植えたあの梅の木が咲いています。そして降り注ぐ雨、これは新次郎のうれし涙!?

……はい、いいと思うんです、新次郎の涙雨。でもこの涙雨演出、安く使い過ぎてもう感動できません。千代の縁談が後れただけでも降っていたし、もう新次郎は天候を操る諸葛孔明かよ、とツッコミたい。それ以上に雨の滴がぽつぽつと降っている状態なのに「ジョジョジョ〜」と大雨が降るSEを使った音響担当者にツッコミたい。惜しい、一瞬早かったですね。余韻も台無しですよ!

 

4月2日(土)

新次郎の四十九日を迎え、いよいよ最終回です。

あさとはつはこれまでの人生を語ります。長い年月を経たにも関わらずお守りがぴかぴかなのはさておき。家を守れたのかと問うあさに、はつは守れたと答えます。この場面の宮崎あおいさんの演技は素晴らしく、立ち上がるときにちょっとよれっとするところ、ゆっくりとした話し方、どれも絶品でした。励まし合うふたつの花びらの行く末はこれまでですが、半年間見続けた余韻がありました。

和歌山に戻ったあさを迎えるのは養之助。彼もやんちゃ坊主から頼れる農村の青年になりました。若手世代で演技が一番よかったのは彼だと思うのですが、それだけに出番が少なかったのは残念です。

さらに六年後。ちらりと亀助の娘役で清原果耶さんも再登場。あさは、四児の母で芦屋マダムの千代、アメリカ留学から帰国した宜、成澤らとともに勉強会をしていました。この中にあの村岡花子もいるのだと、心眼で補うのもありですよ。

この場面そのものはよいのですが、あさが人生を振り返る話の内容が雑なのが残念です。技術の発展で便利になった、でも生きづらい世の中になったと語るのですが、先週ヴォリンガーが似たような問いを投げたとき、「まあ発展したんやしええやん」みたいないい加減なことを返していましたよね。暮らしづらさの中身は一体何なのでしょうか。

それとこれまた薄っぺらい戦争批判、マスコミ批判。前者はあさの著書にもありましたけれども、後者は何なのでしょうか。報道は近代社会における権力監視の役目があるわけです。おかみを批判しても手鎖なんか受けなくなったのは、江戸から明治に切り替わった進歩の一種です。それを「マスコミが人を傷つけるようになって〜」みたいなくだらないことを言われるとがっかりします。開拓使事件から、この手のくだらないマスコミ批判を入れて来ますね。本作の説教モードになったあさは史実浅子の言葉を恣意的に切り取り、都合よく曲解し、いい加減にまとめてしまっている感があって残念です。

このあと、あさはある幻を見ます。それは手を振る若き新次郎。駆け寄るあさはよろめいていた洋装姿から若々しい姿に戻り、二人は笑顔で菜の花畑の中を回ります。いろいろと文句をつけてしまいましたが、この似合いの夫婦を見ていると感動できます。

半年間、お疲れ様でした。

 

総評

今回は最後のレビューです。

「あさが来た」今世紀最高視聴率確実/芸能/デイリースポーツ online http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/04/01/0008948679.shtml

幕末からスタートした本作は朝ドラ初のチャレンジ尽くし、冒険心のある作品で、視聴率も作品クオリティも今世紀最高との評価を受けています。絶賛、考察、あらゆるレビューがありますので、皆様好きなものに目を通したらよろしいかと思います。

ドラマ全体のまとめの前に今週のまとめを。このような評価が高い作品である割には、終わり方は凡作以下というところでしょうか。『まれ』と比較したら上であるのは当然として、演出が似通っていた『マッサン』の方が綺麗にまとまっていたと思います。

本作最終週には大きな問題があったと思います。初回から半世紀近く、幕末から明治に移り変わった大団円であるにもかかわらず、時間経過にがおかしい。わかりやすく言いますと、新次郎と同年代の登場人物が老けない。雁助、亀助、うめ、美和が、白髪が交じった程度のぴんぴんした姿で恋愛までするのはびっくりぽんでした。パチパチはんやお守りが経年で痛んでいないのは目をつぶるにしても、彼らは波紋使いなのかよ、と。

『カーネーション』では終盤、役者が交替しました。これが賛否両論、どちらかというと否が多い反響でした。私もがっかりしたものです。しかし、制作側の「若い女優では老いを描けないから」という理由を知り納得しました。本作を見てその思いを強くしました。玉木宏さんと宮崎あおいさんは別格として、やっぱり老いの演技って難しいのだなあ、と。杖をついてよろめけばよいというものではないのですね。

 

「朝の連続葬儀」問題

これは最終週だけではなく二月あたりからの問題ですが、朝の連続葬儀になってしまったこと。毎週金曜日に主要キャラが情感たっぷりに、仰々しいBGMとアルカイックスマイルであの世に旅立つ展開には流石に飽きました。人は皆死ぬという言い訳は結構です。それはそうですが、何もいちいち皆こんなウェットに送り出さなくてもよいでしょうに。

この根っこを探りますと、五代を情感たっぷりに一週間かけて死なせたことにあると思います。そこそこ重要な五代をあれだけ気合いを入れて退場させた以上、五代より重要な位置にいるキャラをぽっと死なせるわけにはいかなかったんでしょうね。五代は素晴らしいキャラでしたが、局側のゴリ推しとドラマのバランスを破壊した罪深い存在でもありました。

 

全体総評

一言で表現すれば、「成功した『花燃ゆ』」、それが本作でした。幕末にうまれ明治を生き、失敗した姉と成功した妹。それが『花燃ゆ』と本作とも言えるでしょう。

もし『花燃ゆ』の楫取や久坂が、五代や新次郎並に大人気だったら。

美和と寿の姉妹が、あさとはつのような絆を持っていたら。

それならばスタッフの狙い通り、幕末男子を育てたいと思う視聴者もいたかもしれませんね。税金投入するかどうかで揉めている楫取夫妻銅像もすんなり建っていたでしょう。

そこまで考えて、やはり『花燃ゆ』は大失敗してよかったと思いました。下手にヒットしていたら、大河枠の寿命は結果的に縮んだことでしょう。

それは何故か? 本作はキャラ萌え朝ドラとしては傑作でも、歴史ドラマとしては落第点だからです。正直なところ、朝ドラとしてみても後半は手抜きが目立ち、最終週に至っては凡庸な作品であったと思います。個人的には、このレビューに同意します。

『あさが来た』はなぜ成功したのか? “鬱展開”を排除した作りと、キャラクターの魅力 http://realsound.jp/movie/2016/04/post-1360.html

「武将JAPAN」は歴史サイトです。本来大河のみの感想を書いていた武者めが、本作をレビューし続けたのも、歴史ドラマとみなせると思ったからなのですが、そう評価できたのは開拓使事件(第15週)の前まででしょう。

歴史ドラマとしての『あさが来た』

歴史ドラマとして本作を評価しますと、前半(〜14週)と後半(15週〜)ではっきりとわかれます。

ここで誤解されないように書いておきますが、歴史ドラマ=歴史再現ドラマではありません。前半だってあさや五代の人生を正確にたどってはいませんが、それが減点対象とはなっておりません。妾を出せとか、炭坑で親分や手下を爆死させなかったから甘い、とも思いません。これを史実と思われては有害だ、と思うところを突っ込みたいと思います。本作をもってして、近代女性の覚醒を描いたとか、家と女の関係を描いたとか、明治を描いたとか言われると、ちょっと待てよ、とつっこみたくなるのです。キャラ萌えドラマとしては、『あまちゃん』が東の横綱なら、本作は西の横綱だとは思うんですけれどもね。

  • モデル人物とドラマ人物の乖離(あさ、成澤、宣、平十郎ら)
    脇役同士に無理矢理ロマンス要素を足したり、功績を削除したりするのはまだ許容範囲ですが、成澤や平十郎が非常識無能に見えてしまうのはやりすぎでしょう。あさも史実の浅子が持っていた「狂人」とまで呼ばれたあくの強さは抜けています。無難な朝ドラヒロイン像にあてはめるとこうなるのか、という印象です。浅子の思想をつまみ食いして、都合のよい言葉に改変しているのもたちが悪いです
  • 明治の価値観・家族間ではなく戦後の価値観
    「進路」という当時はなかったような言葉を使ったり、母親が子を育てないことが批判されたり。明治の上流婦人は、家事も育児も使用人任せです。千代はしきりと自分を省みない母親が異常で冷淡だと責め立てましたが、明治ではそれが当たり前です。上流婦人でなくとも、子供を兵児帯で木にくくりつけて田畑を耕す農婦などはざらにいました
  • 明治の女性が置かれた環境を反映しているのか?
    あさが明治女性の代表、パイオニアとは思わないでください。史実の広岡浅子はそうでも、本作のあさはそうではないでしょう。
    金持ちで、政治家に強力なコネがあり、権力者五代の後ろ盾も得た、スタート地点がチートと言ってよいほどの人物です。しかもそのことに無自覚で、自分の才覚で道を切り開いたと信じています。エリザベス女王が活躍したのだから、16世紀のイギリスは女性差別がなかったと言えるでしょうか? 彼女は才能もありましたが、それを発揮できたのは性別をも凌駕するほどの血筋を持っていたからです。そういう例外的な女性を必要以上に持ち上げるのは、歴史をゆがめることになりかねません。史実の広岡浅子は血筋だけの人物ではありませんが、本作では彼女の後半才知を発揮する場面を丁寧に描写していませんでした。何も史実通りに描く必要はありませんし、商売より恋愛が見たいという視聴者も多いでしょう。しかし、そのようなご都合主義はあくまでフィクションなのです。本作のあさをもってして女性の道を切り開いたと言ったら平塚らいてうあたりが怒るのでは
  • 富国強兵、良妻賢母教育が存在しない明治
    日本史の教科書で「富国強兵」が出てこないものはおそらくないのではないか、と思います。誰しも授業で聞いたことのある言葉ですが、この概念が明治を舞台にしたドラマで出てくることはあまりありません。本作もまた、そうでした。
    あさや成澤が目指した明治の女子教育も、富国強兵の枠内におさまるものでした。ドラマでは女性の向学心や好奇心を満たすためにあさが教育の必要性を強調しますが、実のところ成澤らは「強い日本男児を育む良妻賢母」を養成するために女子教育の推進を目指していたのです。女性の自立は二の次でした。平塚らいてうは、この家庭の中に女性を押し込めようとする明治の教育論に反発します。このあたりをうまくまとめたレビューがありますので、こちらもご参照ください。
    正味の話、平塚らいてうは「あさが来た」広岡浅子をどう思っていたのか
    http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20160401/E1459442527402.html
    富国強兵の結果生じる徴兵といったことがらを、まるで天災のように描くのも、朝ドラの限界点だと思います。あさの場合、戦争景気で儲けているだけに、余計偽善的に思えます
  • 藩閥が存在しない明治
    明治時代は藩閥が政治において物を言いました。本作は。政治がメインのドラマではありません。ではそこを省いてよいのか、というと実はそうではありません。
    原作を忠実に再現するのであれば、それでもよかったのです。ところがドラマでは薩摩閥の五代友厚をクローズアップしました。五代が関わった開拓使官有物払下げ事件は、まさにこの藩閥闘争の産物といってよい事件でした。ところが本作では、その藩閥要素を丸無視して描いたからたちが悪いのです。五代が悪意を持っていなかったにせよ、開拓使薩摩閥のコネを利用したことは事実なのです。そして本作のあさは、そんなコネを使う五代と懇意にしていたわけです。

五代退場後、開拓使事件で五代を猛烈に攻撃した肥前出身の大隈重信が、しれっと出てきます。肥前は、薩長土肥と並び称されながらも、やがて薩長によって政治の中枢からはじき出されたため、彼らに強い敵愾心を抱いていました。大隈が五代を攻撃したのには、そういう背景があります。

このあたりを考えると、大隈夫人が成澤を長州男児らしいと褒めちぎったばかばかしさがわかるわけです

  • キリスト教描写の弱さに定評のあるNHKは健在でした
    さんざん突っ込んだので今更詳しく書く気もありませんが、ビアホールで賛美歌を熱唱する成澤は最低最悪でした。明治のプロテスタントを侮辱するような描写はそろそろやめましょう。広岡浅子の女子教育への傾倒や、晩年の思想背景にもプロテスタントの影響は大きいのですが、そこもバッサリカット。何故そんなにNHKはキリスト教が嫌いなのでしょうか?

 

ここ数年でNHKは幕末から明治に生き、教育に尽力した女性を三度ドラマ化しています。『八重の桜』、『花燃ゆ』、そして本作です。視聴率や世間の評価を抜きにして、この三作品を比較すると本作はちょうど真ん中、『花燃ゆ』以上、『八重の桜』以下です。放映時は見ていていろいろと不満があった『八重の桜』ですが、それでも明治政府の問題点や女性の置かれた事情、明治のプロテスタントをまともに描いていました。歴史ドラマの本丸と銘打つ大河が朝ドラを下回る方がおかしいので、それも当然かと思います。

では結論な何かと言いますと、

ディーン・フジオカ氏、五代銅像前で「感無量」 : 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160320-OYT1T50046.html?from=tw

「花燃ゆ」初代県令銅像建立計画 前橋市、募金を延長 公費1000万円投入、異論続出 /群馬

http://mainichi.jp/articles/20160322/ddl/k10/010/095000c#

結論:歴史ドラマとしても朝ドラに勝てなかった『花燃ゆ』、銅像が建たなくても仕方ない出来と判明

ではないでしょうか。なんで『あさが来た』の話に『花燃ゆ』を出して屍を鞭打つのは気が引けますが。朝ドラでも大河並の歴史ドラマを続けるのはとりあえず無理と判明した、しかし、それでも『花燃ゆ』よりは歴史ドラマとしてもマシ、という結論で締めくくりたいと思います。『花燃ゆ』放映期間は歴史ドラマとしての代役を果たし、まともな歴史ドラマ『真田丸』が始まったら通常の朝ドラにチェンジ。それが本作ではないでしょうか。

 

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