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その日、歴史が動いた

神聖ローマ皇帝レオポルト2世が死刑廃止を世界で初めて宣言

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今回は西洋と東洋、過去から現在まで大きな課題となっている法制度のお話です。
1786年の11月30日、神聖ローマ皇帝レオポルト2世が死刑廃止を世界で初めて宣言しました。
日本では江戸時代中期、田沼意次(おきつぐ)が老中から失脚した頃のことですね。

「さすがヨーロッパは進んでる」なんて思うのはちょっと気が早いですよ。
何せ、この宣言にも関わらず数年後にはフランス革命で数百人ギロチン台行きですから。

というのも、皇帝と名がついているとはいえ、この頃の神聖ローマ帝国はもはや名前だけのお飾り状態。
いや、お飾りですらありませんでした。
神聖ローマ帝国とは概ね今のドイツからオーストリアなど中欧をひっくるめた地域だったのですが、内部に小さな王国や公国が大量にあり、ちっともまとまっていなかったのです。
15世紀半ばあたりからはオーストリアの貴族・ハプスブルク家が世襲で皇帝を出していたものの、それでもまとめきることはできませんでした。
自分の家のこともできないのに、大げさな理想を掲げたところでうまくいくはずがないですよね。

それでもレオポルト2世の意思は無駄にはなりませんでした。
彼は皇帝のほかにもう一つ肩書きを持っていて、その領地であるトスカーナ(イタリアの一地方)では死刑を廃止することに成功します。
これはヨーロッパで初めてのことでした。

かといってすぐにヨーロッパ全体で死刑廃止の流れができたかというと、そんなことはまったくありません。
ただ、人権という言葉ができ始めていたため「苦しまずに処刑する方法」はいくつか考えられました。
ギロチンも本来は死刑囚が苦しむことなく刑を終わらせられるように、という理由で開発された人に優しいものです。
当時ヨーロッパの死刑としては斬首刑と絞首刑が主だったのですが、大陸国は斬首刑、イギリスでは絞首刑とばらばらでした。

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photo by Athena's Pix

しかし時代が進むにつれ、「死刑そのものが残酷な刑罰である」という考えが強まったため、ヨーロッパでは死刑廃止の動きが大きくなります。
現在、EUの加盟条件として、暗黙の了解的に死刑の廃止が含まれているのはこのためでしょう。
死刑が存在しているベラルーシはEU未加盟ですし、トルコはEU加盟のために死刑を廃止したような節があります。まだ国内の反対が大きいため、交渉が難航しているようですが。

一方、アジアやイスラム圏では死刑が存続している国が多く存在します。日本もそうですね。
これは文化圏の違いからか、「死刑が凶悪犯罪の抑止力になる」という考え方が強いためです。
犯罪者の苦痛を取るか、そもそも犯罪者を出さないようにするか、どちらをとるかということが争点になるため難しい問題ではあります。日本がEUに加盟する日は遠そうですね笑。

これは私見ですが、おそらくヨーロッパで死刑廃絶が進んだのはフランス革命や清教徒革命・異端審問など、処刑に歯止めがかからなかった事件があまりにも多いからではないでしょうか。
もっと範囲を広げれば、魔女狩りなども含まれるかもしれません。
西洋史の年表見てると、虐殺の二文字が出てこない時代なんてほとんどないですからね……。
そのほとんどが某宗教のせいとか言っちゃダメです消されますGYAAAAAA!

東洋でも焚書坑儒など、虐殺事件がないわけではないんですが。
話がまとまらなくなってきましたが、「宗教と文化の違いは法制度にも強く影響を与えてるっぽい」ということでおk?
え?そんなの当たり前だろJKって?……失礼しました。

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長月七紀・記

 




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