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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

夏目漱石作品に病気ネタが多いのは自虐だった?【その日、歴史が動いた】

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会社員の職業病といえば胃痛。
上司やら取引先やら家族やら全方向からアレコレ言われて、太田○酸やキャ×ジンがお友達状態になっている方も少なくないでしょう。
しかし、サラリーを貰っている人だけが胃をやられるというわけでもなく。
今回の主役は、多分胃痛に悩んでいたという人の中では歴史上で一番有名じゃないかと思われるあの作家です。

大正五年(1916年)の12月9日、「我輩は猫である」「坊っちゃん」の作者である夏目漱石が亡くなりました。
作家というと悠々自適に暮らしているというイメージがあるかもしれませんが、漱石の場合生まれたときから不運の見本市のような人生だったため、心身両面に病気を抱えていたのです。
その始まりから見てみましょうか。

漱石は慶応三年(1867年)2月9日、徳川慶喜が最後の将軍になる前日に生まれました。
大政奉還がこの年の10月ですから、慶喜って1年も将軍職に就いていなかったんですね。現代でいえばジョブホッパー?

太宰治「生まれてすみません」 漱石母「産んですみません」

それはさておき、漱石の人生は最初からケチをつけられてしまいます。
なんと、実の母親が「こんな年で子供を産んで申し訳ない」とのたまったのです。
そう思うんならデキるようなことをしなければいいだろ!とツッコミたくなりますが、「夫婦間でも夜の生活を強要したらDV!」なんて概念がない時代ですから、拒否できなかったんでしょうねえ。

一応母親のほうにもそう言うだけの理由はあります。
夏目家は元々名主の家柄だったのですが、漱石のお祖父さんが道楽で家を傾けるほどの散財をしてしまっていました。
その息子である漱石のお父さんが極めて真面目な人だったため、何とか盛り返せたばかりだったのです。
しかも既に5人も子供がいて、さらに前妻の子供も2人いたところに漱石が生まれたのですから、家計が再び火の車になるのは目に見えていました。
「トーチャンが自重すれば良かったんじゃね?」とか言うと、日本の文豪が一人存在しなかったかもしれないのでやめておきましょう。

当時は明治維新の真っ只中。
その中で再び経済的に苦しくなった夏目家は、案の定子供を里子に出すという方法で乗り切ろうとします。
漱石も一度知り合いの店に行かされるのですが、ロクな待遇を受けることができず、哀れんだお姉さんに連れ帰られています。
店の品物の間で寝かされてたとか、夜はカゴに入れられて店先に吊るされてたとか、今なら確実に通報レベルの扱いだったようです。虐待ダメ絶対。
幼稚園くらいの年からこんな扱いされてたんじゃ、そりゃ胃も神経もやられるわけです。

元々小さい頃から疱瘡にかかったりなど丈夫な質ではなかった上、さらにあまり身持ちの良くない人の家に養子に出されたりと、漱石の幼少時代は「これでよくグレなかったな」と感心してしまうほど悪い環境でした。
それでも(そのおかげで?)やりたいことははっきりしていたのか、学問については自分でやりたい道をしっかりと決め、時にはサボりつつも文学を学んでいきます。
学生時代は長兄・大助との対立も絶えなかったようです。また苦労か。
しかしその理由が「お前は頭がいいから、いい大学に行ってお偉いさんになって、ウチを再興してくれ」という何とも昔の日本らしい身勝手なもの。
身体は弱くても意思は曲げない漱石は当然これがイヤで仕方なく、お兄さんの勧めを頑として撥ねつけ、文学の道を進みました。
東京帝国大学(現在の東大)に入る前にはこのお兄さんが亡くなっているので、漱石の粘り勝ちですね。

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幼児虐待を乗り越えて東大に入ってみたものの

大学時代に英語や文学で優秀さを見せた漱石でしたが、この頃から肺結核や神経衰弱(トランプのほうではなく精神疾患のほう)に悩まされるようになります。
卒業後は英語教師として働き、結婚もしましたが奥さんが流産のショックで自殺しかけるなど、家庭環境でもトラブルが相次ぎました。
もうやめて!漱石のライフは(ry

そしてやっとそのあたりのゴタゴタが落ち着いた頃、今度は文部省から「ちょっと本場で英語の研究してきて」と命じられてロンドンへ渡ります。
とある下宿先では「あの人違う世界にイっちゃってるんじゃないの?」と心配されるほど研究に没頭したそうで、2年後やはり文部省から「疲れただろうから帰国してゆっくりしなよ」という命令を受けました。
タイミングの悪いことに、帰国時の船に精神科医が同乗していたため、家族が余計心配したとか。

帰国後は第一高等学校や東京帝大で講師になりますが、ここでもまた胃の痛くなるような出来事が立て続けに降りかかります。
帝大では前任者・小泉八雲とあまりにも講義のやり方が違うからと生徒から反感を食らい、一高ではちょっと叱りつけた生徒が華厳の滝で入水自殺する始末。
どちらも漱石が100%悪いわけではないのですが、こんな大事件が連続して起きたらそりゃ精神的にクるわけです。
生徒の自殺については「我輩は~」や「草枕」で後々ネタにしていますが、冷静に受け止められるようになったというよりも、自分の中で整理したかったからなのかもしれません。

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高浜虚子さんに救われる

精神崩壊寸前の漱石を救ったのは、かねてから親交のあった高浜虚子でした。
当時虚子や漱石は他の作家と一緒に文学の同好会のようなものを作っていて、定期的に集まっていたので「次の会までに、何か短編を書いてみたらいい。私が見てあげるから」とあくまで強制はせず誘ったのです。
そして漱石が書いたのが「吾輩は猫である」の第一回にあたる部分でした。
それまでも俳句や漢詩を詠んだことはありましたが、小説はまだ書きなれない自覚があったのか、虚子の意見を容れてかなり訂正や削除をしたそうです。
タイトルについても「猫伝」と「我輩は~」で迷っていたのを、虚子が後者を選んだためこちらになったのだとか。

「我輩は~」には主人公の猫を始め、人間もそれ以外も実に個性豊かなメンツが揃っていますが、おそらくは漱石自身やその周りの人物をモデルに書いた部分も多いのでしょうね。
特に猫の飼い主である苦沙弥(くしゃみ)先生は胃痛を抱えていながら大の甘党であることなど、漱石との共通点も多いですし。
猫の視点から見た苦沙弥先生評は、自分で自分を皮肉っていると見ることもできるでしょう。
人間、バカらしいとわかっていても体調不良と引き換えに好きなものを飲み食いしたがるものですしね。

人気作家になり朝日新聞に入るが…

「我輩は~」が雑誌に掲載され好評を博したことで、漱石は自身がついたのか、次々と作品を発表して人気作家としての地位を確立します。

そして教職より文学を選んだ彼は朝日新聞へ入社するのですが、今度は会社という環境でストレスが溜まったのか、神経衰弱や胃痛が再発してしまいました。

今度もまた周りの人が見かねるほどだったらしく、当時満鉄(南満州鉄道株式会社の略。日露戦争後、日本が得た中国の一部=満州にあった鉄道会社)の総裁を勤めていた親友の招待で満州・朝鮮を旅行しました。

このときのことも朝日新聞で旅行記として連載しているあたり、仕事熱心というかクソ真面目というか。
ちなみに彼が満州・ハルビンを訪れた約一ヵ月後、同じ場所で伊藤博文が暗殺されています。
もし漱石の旅行が一月ずれていたら、卒倒モノの現場を見ることになっていたのかもしれません。怖ッ!

実際に見ていなくてもショックが大きかったのか、その翌年には胃潰瘍で入院したり、「修善寺の大患」といわれる湯治先での大吐血など、いよいよ体調を悪化させてしまいました。
ここまで同じ病気で悩まされ続けると死にたくなりそうなものですが、彼は最期まで自ら命を絶つことはありませんでした。
むしろ一度死に掛けたことで覚悟が決まったのか、入院や執筆中断を繰り返し、糖尿病を起こしながらも筆を執り続けます。

しかし間に合わず、「明暗」執筆中に漱石は再び胃から大出血を起こして亡くなりました。
大患から6年、その間に書き上げた小説は中長編だけでも5本。国語の教科書でお馴染みの「こころ」もこの間に書いたものです。

しかもその間に公演や随筆もやっていますから、ほぼ休むことなく書いていたと見ていいでしょう。
単なる仕事ではなく、本当に執筆が好きだからこその執念だったのでしょうね。
漱石のデスマスクからしても、穏やかに眠っているというよりは「やれやれ、最後まで書けなかったか」というような悔しさが多少含まれている気がします。

漱石の胃病に関しては、その頻度からしてストレスだけではなく、ピロリ菌が定着していたのではないかともいわれています。
現在の日本人ではほとんど発症しませんが、もし頻繁に胃痛や胃潰瘍になっている人はちょっとアヤシイかもしれませんよ。
「漱石と同じ死因になれるかも」ということに魅力を感じるなら止めはしませんが、心当たりのある人は大人しく病院へ行きましょうね。

長月七紀・記

まじめな漱石エントリー「夏目漱石の全小説を1行で言い切ってみせます!(名言&トリビア付き)」

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おふざけ歴史エントリー「歴史のアレコレ一文字変えたら歴史がアホなことになった」より
「吾輩は猫」→「先輩は猫」

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参考:高浜虚子「漱石氏と私」(青空文庫)
   医療法人社団アップル会 藤澤皮膚科 藤澤重樹「夏目漱石の49年の生涯」




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