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その日、歴史が動いた

元祖「男の娘」? 土佐日記の元ネタの旅が始まる 紀貫之が高知を出発 【その日歴史が動いた】

更新日:

国語や歴史の授業で習った古文のタイトルあれこれ。
実際に読んだことがあるものって少ないですよね。
そもそも古語自体がよくわからんし、現代語訳がついてても当時の風物を知らないとやっぱりワケワカメで、敷居が高く感じるものです。
が、紐解いてみるとそんなに小難しいことは言っていないこともあれば、現代人とさほど変わらない感覚の話もあったりして。
今日のメインはそのうちの一つ、日記文学のはしりと言われているアレです。

 

男もすなるブログというものを男の娘が書いてみる

平安時代の承平四年(934年)の12月21日、紀貫之が土佐国司の任を終えて京へ出発しました。
年末に近い頃の旅立ちだったので、お正月も途中で迎えています。
昔の人って行事を大切にしそうなイメージがありますが、仕事だからか案外シビアな日程です。

このときの旅路を日記風の物語にしたのが「土佐日記(土左日記)」です。
教科書では「これを手本にして枕草子などが書かれました」というような理由で覚えさせられるタイトルですね。
事実、土佐日記には他の古文と比べて、特筆すべき点がたくさんあったりして。

初めて平仮名主体で書かれた文学であることなどはお馴染みですが、実は土佐日記は原本が極めて長く存続していた平安文学の一つでもあります。
紀貫之が書いた土佐日記の原本は、彼の死後一度蓮華王院(三十三間堂)へ納められました。
その後室町時代に歌人であり僧だった尭孝(ぎょうこう)という人物が譲り受け、室町幕府八代将軍・足利義政へ献上されたそうです。
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応仁の乱の余波か、ここで原本の消息は立たれてしまうんですけども。内乱ってホントどうしようもないですね。
それまでの間に原本から直接書き写されたものが広まり、現在まで伝えられているのです。

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日本書紀も源氏物語も原本なし 

現代人からすると「それのどこがすごいの?」と思われるかもしれませんね。
しかし、よく考えてみてください。
印刷技術がない時代ですから、作品が広まるには書き写すか、人が話しているのを聞くしか方法がありません。
他の多くの文学(源氏物語など)は後者で伝わることが多く、書き表したとしても話し手が新たに加えたエピソードや、散逸部分を書き手が想像して埋めた部分が多いだろうとされています。

 

原本が比較的早期に失われてしまっているため、全文が執筆当時のままであるという保証がないのです。
例えば、源氏物語には章の名前だけが伝わっていて本文が見られないものや、明らかになくてはならないシーンなのに描写されていない部分が存在します。
枕草子なども同じで、もう少し時代が下って方丈記や徒然草あたりになると「これが原本っぽい」というものが出てくるようになるのですが。

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写した人がすごい 藤原定家!

というわけで、土佐日記は比較的原本に近いものが伝わっているという点でも、歴史的に重要な作品なのです。しかも原本を写した人がすごい。藤原定家です。

WHO? ふじわらさだいえ?

鎌倉時代初期の歌人で、新古今和歌集を選んだ人です。なにがすごいって「さだいえ」なのに、「ていか」「ていか」って呼ばせたことでしょうね。沢田研二を「ジュリー」と呼んじゃうような?違うか。

リアリティあふれる描写

土佐日記は、もちろん普通の日記ではなく物語風にしてあるので、全てが事実かどうかは。(最近は女のふりをして書いたということ自体が誤読であり、物語ではなくノンフィクションだという説もあります)

 

中心となっている土佐から京への旅路の描写の中に、その間には赴任先で亡くした娘への追想や、舟の漕ぎ手・同船した人々の様子などが描かれています。
ほとんどの日は一言で済ませているのに対し、そうした記述のある日は行数を割いているあたりが日記らしくなっていたりして、なかなかリアルなものです。
平安貴族の書いた作品らしく、和歌もいくつか出てきます。
例えばこんなのとか。

「わが髮の ゆきといそべの しら浪と いづれまされり おきつ島もり」
(意訳:私どもの白髪と、海の白波とどっちが多いでしょうねえ、島守さんよ)

これは主人公が乗っている舟の漕ぎ手が詠んだとされていますが、さすがに白髪がたくさんあるような歳の庶民がこんなに綺麗な歌を詠めるとは思えませんから、この辺は創作でしょうね。
他にもなかなか船が進まずもどかしい気持ちをしていた日には阿倍仲麻呂の話を出したり、京に近づいた頃には子連れの人々を見て「私も娘と一緒に帰ってきたかったのに」と悲しんでいたりします。
娘への気持ちを書いた部分は貫之の真情なのでしょう、末尾の京の屋敷へ着いたシーンでも「この家で生まれたあの子が、今はいなくて悲しい」と繰り返し悲嘆の念が書かれています。

この娘さんがいくつくらいの歳だったのか、死因は何なのかまでは書かれていませんが、当時の衛生状況や医学の未発達さ、京から連れて行ったことを考えると10歳前後でしょうね。
わが子に先立たれた親の悲しみはいつの時代も変わりません。

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土佐日記の前文は青空文庫で読めますので、ご興味のある方はぜひどうぞ。
文学と言うと長そうに思えますが、A4で10枚くらいなのですぐ読めますよ。
(実はこの記事書く直前に斜め読みしたのが初見とか言えない)
長月七紀・記
参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2010/12/post-1e4c.html
   http://www.aozora.gr.jp/cards/000155/files/832_16016.html
   http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/tosa.htm




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