日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

その日、歴史が動いた

南極で一年耐えた兄弟犬タロとジロの生存が確認される【その日、歴史が動いた】

更新日:

有史はるか以前から、人間はさまざまな動物とともに暮らしてきました。

その多くは食肉や卵などを得るための家畜としてでしたが、馬や牛など労働力として助けられてきた動物もいます。
犬や猫については現代でこそ愛玩動物としての面が大きいものの、番犬やネズミ捕りなどで働いてもらうために飼いならしたのが始まりだったといわれていますね。

今日のメインは、その中でも類稀な経験をしたある犬たちのお話です。
昭和三十四年(1959年)の1月14日、第一次南極観測隊に参加していた樺太犬・タロとジロの生存が確認されました。

もしかしたら、当時をご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんね。
映画やアニメにもなりましたし、お若い方でも2011年のドラマ「南極大陸」でこの話を見たという人も多いでしょう。
が、例によってお話はお話、事実は事実ですので異なる箇所もかなりあります。

南極観測隊 もう今年で55次隊

まずは南極観測隊についてのお話から始めましょう。
文字通り南極でさまざまな観測をするための調査隊で、1年に1回交代します。
現在(2015年1月現在)は第55次隊が越冬し、2月に56次隊との引継ぎを行う予定です。
南半球はこの時期が夏ですので、南極に近づきやすい時期に交代するんですね。
しかし毎年毎年スムーズに行くわけではなく、交代が延期される年は珍しくありません。

スポンサーリンク

出産直後の雌と子犬のために燃料を抜き

タロとジロを含めた犬たちが南極へ置き去りにされてしまったのも、第2次隊との交代がうまく行かなかったことが直接の原因でした。
なにも、当時の隊員達がめんどくさがって犬たちを置き去りにしたわけではありません。
夏とはいえ南極は南極ですから、雪も降りますし吹雪もあります。
天候が悪化すれば雪上機等の燃料消費は激しくなりますので、必要最低限の荷物しか載せられないのです。
せめて助けられる分だけでもということで、当時出産したばかりのシロ子とその子供たちを乗せるために燃料を抜いたくらいですから、タロとジロを含めた15頭の成犬を全員乗せることは不可能でした。

ちなみに彼らは全員(頭)樺太犬という大型の犬で、最大体長80cm近く、体重は45kgくらいまで成長します。
このときの犬たちがどのくらいの大きさだったのか詳しい資料は残っていませんが、重さとしてはちょっと小柄な人間の女性くらいということになります。
隊員+15人乗せるとしたら、燃料がフルに入っていてもかなり厳しいことはなんとなくわかりますよね。

スポンサーリンク

南極の生態系を守るために苦渋の鎖

このとき鎖に繋いだまま置き去りにしたことで、隊員たちは世間の猛バッシングを受けることになりました。
しかし、これも仕方のない面があるのです。
樺太犬は上記の通り大型犬ですから、それ相応の食料を必要とします。
多少の粗食には耐えられますが、生死のかかった状況で理性が働き続ける可能性は低いでしょう。
となれば、南極にいる他の生き物を狩って生き延びようとすることは容易に予測できます。
南極の自然観測も任務の一つである南極調査隊が、調査対象である南極の生態系を乱すようなことをするわけにはいきません。
ですから、一見非道なように見えても理論上は間違っていなかったのです。

そもそもどうして犬を南極に連れて行くのかというと、犬ぞりを使うためというごくごく単純な理由です。
極地では馬や牛など一般的な荷物の運搬に使われる動物が生存できないため、より寒さに強く、頭数が揃えばそりを引くことができる犬が欠かせませんでした。
冒険家の植村直己氏や山崎哲秀氏も、犬ぞりで踏破した場所がいくつかあります。
そして、日本にいる種類では樺太犬が犬ぞりに最も適していたため、タロとジロを含めた22頭が選ばれたのでした。
(病気のため引き返したり、越冬中に亡くなった犬もいたので、第1次隊が南極を去るときとは数が変わっています)
現在はスノーモービルがありますし、生態系保護の観点からも南極に動植物を持ち込むことはできませんので、もうこのようなことは起きないようになっています。

タロとジロ以外の犬は、大きく分けて二つの道をたどりました。
繋がれたまま命を落とした7頭と、行方不明になってしまった6頭です。
後者のうちリキという名前だった犬らしき遺体が後日見つかっていますが、記録が残っていないため詳細は不明です。
また、行方不明になった犬の中にはタロとジロの父・クマもいました。
ドラマではタロとジロを助けて亡くなっていましたけど、真実はどうだったかわかりません。
何せ、そのとき観測隊は誰もいなかったのですから。

あんまり想像したくはありませんが、もしかすると極限状態で共食いが起きたかもしれませんね。東日本大震災が起きた直後に、多頭飼いされていた猫の共食いが確認されていますので……。
犬と猫が同じ行動を取るかはわかりませんし、基地で亡くなっていた犬たちの遺体はきれいだったそうですから、真相は不明のままですが。
人間だって備中高松城(水攻め)とか鳥取城(干ぼし)とかでひでy……おっと岡○准一が来たようだ。

スポンサーリンク

長月七紀・記




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-その日、歴史が動いた

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.