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イギリス その日、歴史が動いた

英国の海賊紳士フランシス・ドレークの人生~スペインにリベンジを!

更新日:

 

日本が世界的に見るといろいろイレギュラーな国だというお話をたびたびしてきましたが、冷静に考えてみると同じような条件で奇跡ともいえる発展をした国がもう一つあります。

(おそらく国際問題の原因を半分以上作っている)イギリスです。

自然災害こそ少ないものの、農業には基本的に向かず食糧事情が良くない上、ヴァイキングやフランスに脅かされつつも統一し(でもまとまりきってない)、近代には七つの海を支配した……って冷静に考えてみるとけっこうスゴイ話ですよね。

もちろんその過程においては、優秀な(女)王や軍人が欠かせませんでした。

今日の主役は、おそらく「海賊紳士」の語源の一つになったであろうあの人です。

 

10才で海に出て25才から奴隷貿易を営む

1596年(文禄五年)の1月28日、イギリス海軍中将だったフランシス・ドレークが亡くなりました。

世界史がお好きな方や学生さんだったら「ああ、アルマダの海戦の人ね」と連想されるかもしれませんね。

教科書的にはその一点しか取り上げられませんが、実はアルマダ(スペイン海軍)とフランシスには並々ならぬ因縁があったのです。

厳密にはこの頃まだ連合国家イギリスではなく、イングランド王国なのですが例によってわかりやすさ優先でいきます。

フランシス・ドレーク

トボけた顔してますが、イケイケドンドンのフランシス・ドレークさんです/wikipediaより

フランシスは1543年、12人兄弟の長男として生まれました。全員男の子だったそうで、さぞエンゲル係数の高いお宅だったことでしょう。

両親いろんな意味で頑張りすぎ。時代が時代なので途中で亡くなった子もいたでしょうけども。ご本人は10歳くらいの時には既に海へ出ていたそうで、生え抜きの船乗りともいえそうです。

そして25歳で自分の船を持ち、当時は合法だった奴隷貿易を営んでいました。

ですがその航海中、スペイン海軍の奇襲を受けて命からがら逃げた事があります。当然、フランシスはスペイン海軍への復讐を誓いました。

 

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スペインの植民地で海賊行為を働く

再び船を調達した彼は、計画的にリベンジの機会を窺います。

まずは当時スペインの植民地だった西インド諸島や地理・ペルー近辺で海賊行為を働きました。

平たく言うと略奪です。多分殺人もしているでしょう。
それにしても、直接海軍に挑まないあたりが身の程をわきまえているというか用意周到というか。

ついでといわんばかりに、1577年には初めて世界一周を果たし生還するという偉業を成し遂げています。
(※史上初めて世界一周の船旅を成功させたのはマゼランですが、彼はフィリピンで現地住民にケンカを売って返り討ちにあったので生きて帰れませんでした)

この頃フィリピンもスペインの植民地でしたので、そこまで荒らしに行って帰ってきたら世界一周してた……なんてオチはさすがにないですかね。

 

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ナイトの称号を得て海賊紳士伝説始まる

フランシスはこの航海(という名の海賊行為)でなんと当時のイギリス国家予算を超える戦利品を得ていました。よく積んで帰ってこられたものです。

これをエリザベス1世に献上した事で、彼は世界史に名を残すきっかけをつかみます。

この頃、イギリスはまだ国内が落ち着いたばかり。これから植民地獲得に乗り出そうにも、既にめぼしいところはスペインが手に入れてしまっていたため、目の上のたんこぶ状態で鬱陶しくて仕方ありませんでした。
エリザベス1世はそれまでにも南米からスペイン本国に帰還する船を海賊に襲わせていたのですが、フランシスの戦果を見て「コイツならスペイン海軍にとどめを刺せる!」と確信します。

そこでフランシスに「お前の働きは素晴らしい。我が海軍を率いてたもれ」(※イメージ)と命じ、ナイトの称号を与えてイギリス海軍中将に任じました。

海賊紳士伝説の始まりです。

 

THE・外道!火船を敵のド真ん中に突撃させる

国家公認の身になったフランシスは、ねぐらだったプリマス市の市長になるなど政治的な働きもしましたが、イギリスとスペインの関係がいよいよきな臭くなってきたため、海z……ではなく海軍のほうに力を注ぎます。

そして小競り合いでスペイン海軍の弱点を分析しつつ、司令官チャールズ・ハワード・エフィンガムという貴族と連携しアルマダでの勝利を収めるのです。

このときフランシスが乗っていた船がそのものズバリの「リベンジ号」だったというのがまた何とも。殺る気ありすぎやろ。

スペインが帆船を主力としていた事に対し、イギリスは小型のガレオン船による機動力で優位に立ったといわれていますが、実はその他に「火をつけた船を敵のド真ん中に突撃させる」というまさに外道な戦法も使っていました。

ガレオン船

こちらはスペイン製のガレオン船です。16-18世紀のヨーロッパで普及し、伊達政宗が製造したサン・ファン・バウティスタ号は日本で最初のガレオン船/wikipediaより

さすが海賊。三国志の赤壁の戦い(※ただし事実は不明)でも似たようなことしてましたね。案外こっちが元ネタで、後世になってからくっついたのかもしれません。

スペイン海軍に殺されかけたのが1568年ごろで、アルマダの海戦が1588年ですから、約20年越しの復讐を果たしたわけです。長連龍(過去記事:史上最恐の「倍返し」能登の武将・長連龍の徹底的な復讐)もビックリだ。

 

赤痢のためパナマ近海で死亡

こうしてスッキリしたフランシスでしたが、軍に入ったからにはこれで終わりとはいきません。

さすがに常勝とはいかず、新大陸付近では負けたこともあります。そして1596年、パナマ近海で赤痢により亡くなりました。

赤痢にも細菌性とアメーバによるものがあるのでどちらだったかわかりませんが、臨終間際は高熱のせいか錯乱状態だったそうです。

そのためか、鉛の棺に入れられた上水葬という功労者に対するものとは思えない葬られ方をしています。
時代は違うものの、同じくイギリス海軍の英雄として有名なホレーショ・ネルソンがラム酒に漬けられてまで遺体を持ち帰られているのと比べると、あからさまに扱いが違いますよね。

鉛が棺に使われること自体は珍しいことではなかったようですが、占星術的には魂を封じ込めるという意味があるようなので、もしかすると発狂したフランシスを封印するという意図があったのかもしれません。

彼の棺は現在も捜索されていますが、まだ発見されていません。
どんな意味があったにしろ、見つかったときにはきちんと改葬されることを祈るばかりです。

 

長月 七紀・記

参考:

wikipedia/フランシス・ドレーク

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wikipedia/アルマダの海戦

 




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