フランシス・ドレーク

フランシス・ドレークとガレオン船/wikipediaより引用

イギリス

英国の海賊紳士フランシス・ドレークの人生~スペインにリベンジを

1596年(文禄五年)の1月28日、イギリス海軍中将だったフランシス・ドレークが亡くなりました。

世界史がお好きな方や学生さんだったら「ああ、アルマダの海戦の人ね」と連想されるかもしれませんね。

教科書的にはその一点しか取り上げられませんが、実はアルマダ(スペイン海軍)とフランシスには並々ならぬ因縁があったのです。

厳密にはこの頃まだ連合国家イギリスではなく、イングランド王国なのですが例によってわかりやすさ優先でいきます。

 

12人兄弟の長男 1543年生まれ

フランシスは1543年、12人兄弟の長男として生まれました。全員男の子だったそうで、さぞエンゲル係数の高いお宅だったことでしょう。

両親いろんな意味で頑張りすぎ。時代が時代なので途中で亡くなった子もいたでしょうけども。

ご本人は10歳くらいの時には既に海へ出ていたそうで、生え抜きの船乗りともいえそうです。

そして25歳で自分の船を持ち、当時は合法だった奴隷貿易を営んでいました。

ですがその航海中、スペイン海軍の奇襲を受けて命からがら逃げた事があります。当然、フランシスはスペイン海軍への復讐を誓いました。

 

スペインの植民地で海賊行為を働く

再び船を調達した彼は、計画的にリベンジの機会を窺います。

まずは当時スペインの植民地だった西インド諸島や地理・ペルー近辺で海賊行為を働きました。

平たく言うと略奪です。多分殺人もしているでしょう。

それにしても、直接海軍に挑まないあたりが身の程をわきまえているというか用意周到というか。

ついでといわんばかりに、1577年には初めて世界一周を果たし生還するという偉業を成し遂げています。

※史上初めて世界一周の船旅を成功させたのはマゼランですが、彼はフィリピンで現地住民にケンカを売って返り討ちにあったので生きて帰れませんでした

この頃フィリピンもスペインの植民地でしたので、そこまで荒らしに行って帰ってきたら世界一周してた……なんてオチはさすがにないですかね。

 

ナイトの称号を得て海賊紳士伝説始まる

フランシスはこの航海(という名の海賊行為)でなんと当時のイギリス国家予算を超える戦利品を得ていました。よく積んで帰ってこられたものです。

これをエリザベス1世に献上した事で、彼は世界史に名を残すきっかけをつかみます。

この頃、イギリスはまだ国内が落ち着いたばかり。

これから植民地獲得に乗り出そうにも、既にめぼしいところはスペインが手に入れてしまっていたため、目の上のたんこぶ状態で鬱陶しくて仕方ありませんでした。

エリザベス1世はそれまでにも南米からスペイン本国に帰還する船を海賊に襲わせていたのですが、フランシスの戦果を見て「コイツならスペイン海軍にとどめを刺せる!」と確信します。

そこでフランシスに「お前の働きは素晴らしい。我が海軍を率いてたもれ」(※イメージ)と命じ、ナイトの称号を与えてイギリス海軍中将に任じました。

海賊紳士伝説の始まりです。

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