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「わし苦手なんで、君」(絵・富永商太)

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その日、歴史が動いた 徳川家 豊臣家

千姫は大坂城から脱出して幸せだったのか? 豊臣秀頼との夫婦生活は12年で終了

更新日:

家康がじいちゃん、秀吉が義理のとうちゃん

悲劇のヒロインというとどんな光景を思い浮かべますか?
ドレスを着たお姫様か、あるいは「そのつもり」になっている現代女性でしょうかゲフンゲフン。
しかし、日本史上にも悲劇に巻き込まれた女性はたくさんいます。
戦国のモンペ代表・淀殿だって、小谷城が落ちたときはか弱いお姫様……だったはずです。だって歳一ケタだったし。
結局彼女は大坂城で命を落としたのですが、その一方で助かった女性もいました。

寛文六年(1666年)のあす2月6日は、徳川家康の孫で豊臣秀頼の正室だった千姫が亡くなった日です。つまり豊臣秀吉が義理の父にもなる凄まじいお姫さんです。

大坂城を脱出してから半世紀も長生きしていたんですね。
享年69歳ですから、実は秀頼と夫婦だったのは12年くらい。短いとはいえないものの、その後の人生からすればほんの少しでした。
しかし、もしかしたらその頃が一番幸せだったかもしれません。
というのも、千姫は大坂城を出てから平穏な生活を送れたわけではなかったからです。

千姫(Wikipediaより)

千姫(Wikipediaより)

事の発端は大坂夏の陣で、千姫の処遇を決めたときのこと。
さすがの狸も豊臣家を討つ決意は固めていたものの、孫娘である千姫まで殺すのは忍びなかったようで、「千姫を助け出した者に千姫をやろう」と、今ならあっちこっちの団体が大クレームをつけてきそうなことを言い出したのが悲劇の幕開けでした。

豊臣方でも「千姫は徳川の血筋だから助かるだろう。わざわざ助かる者まで道連れにするのは良くない」ということで、堀内氏久という武将が千姫を徳川の陣へ送り届ける事になります。

 

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オラオラなDQNイケメンから言い寄られる

氏久は秀頼の意向に沿って、坂崎直盛という徳川方の武将へ千姫を送り届けました。
そして今度は直盛が徳川秀忠のところまで千姫を護衛したのですが……このとき、直盛が千姫に一目惚れしてしまったのです。

この直盛さん、元は戦国一?のイケメンとして名高い宇喜多秀家の従兄だったので、顔は良かったんじゃないかと思うんですが、いかんせん女心が読めませんでした。
つい先日までは秀頼と仲睦まじい夫婦だったのに、無理やり引き離された千姫がすぐ他の男性と馴染めるはずはないですよねえ。

しかも秀頼が死ぬのはわかりきっていて、正真正銘の”今生の別れ”だったわけですから。
そんなときに言い寄られてもイエスと言いようがないどころか、千姫にとって直盛はイケメンぶりよりKYっぷりが記憶に残った事でしょう。
ちなみに直盛が宇喜多姓を捨てることになったきっかけは秀家とのケンカでしたので、このときたまたまKYだったんじゃなくて、生来DQNな人だったっぽいです。決して無能とかバカ殿ではないんですが、ねちっこい性格だったらしきエピソードがいくつか伝わっています。

そして大坂夏の陣が片付いた後、千姫の再婚を決める事になりました。
この時代、一度離婚したからといって武家のお姫様がそのまま実家にいるケースはほとんどありません。

中には伊達政宗の長女・五郎八姫のように「私は(松平)忠輝様の妻ですから、再婚なんてしません!」と生涯言い続けたツワモノもいるにはいましたが、これは本当にレア中のレアといいますか政宗の親バカぶりがわかるというか、やっぱり忠輝に対して後ろめたさがあったのかなとかいろいろ複雑な事情があってのこと。
千姫は将軍の娘であるが故に、仲の良い弟・家光たちと暮らすことは許されませんでした。

そこでたぬ……家康は「千姫に良い婿を探してくれんか」とよりによって直盛に依頼してしまったのです。
無事送ってきたこと自体は確かに功績といえなくもないですが、さすがの狸も死ぬ間際で人を見る目が衰えていたんでしょうか。
とはいえ直盛もここで再び千姫を口説こうとはせず、命令通りに適切な再嫁先を探します。
武家に嫁ぐとまた何があるかわからない……という配慮があったのか、それともそういう命令だったのかはわかりませんが、ある公家との縁談がまとまり、後は縁組の儀式をするだけというところまで話が進みました。
多分この頃千姫は江戸にいたでしょうし、嫁入り支+と旅の支度にかなり手間がかかっていたでしょう。

 

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メンツを潰されたDQNがとった行動とは

しかしここで、突然「千は本多忠刻(ただとき・忠勝の孫)に嫁がせることにしたから、あの話ナシで」という知らせが届きました。
直盛に手落ちがあったわけでもないのに、本当にいきなりです。
そしてわけがわからない上にメンツを潰された直盛は、とんでもない計画を立て始めた……とされています。

それは「本多家へ向かう千姫の行列を襲って、無理やり姫を奪おうとする」という誘拐計画でした。
元は一目惚れした相手ですし、やっと諦めて縁談を進めていたのにいきなりポシャられては、そう考えてもおかしくなさそうな気はします。
現代で例えると「初恋の人に既に恋人がいたので諦めたが、数年後会ったら結婚したのにちっとも幸せそうじゃなかったので奪いたくなった」というような昼メロでしょうか。……ちょっと無理がありますね。

結局この計画は事前にバレ、裏切った家臣が直盛の寝込みを襲って首を討ち、幕府へ差し出すという後味の悪い結末になりました。
千姫がこの話を知っていたか否かははっきりないものの、何とも後味の悪い話です。

ちなみに発端となった縁談破棄は、やっぱり家康のせいでした。
かつて自害させた長男・信康の娘(家康からすれば千姫と同じく孫娘)熊姫が忠刻のお母さんだったのです。
父の最期を知っていたが故に、将軍の血縁というだけではお家の安泰が図れないと思ったのでしょうか。
熊姫が「千姫を是非とも忠刻にくださいませ」と狸爺に頼み込んだことは想像に難くありません。
そして千姫の落ち着く先は京都から伊勢桑名藩(現・三重県桑名市)へと変わり、輿入れしていったのでした。

「おれか?」絵・富永商太

絵・富永商太

 

またも愛する夫を亡くして…アラフォーで出家

千姫本人は誰とでもうまくやれる人だったようで、忠刻との間にはすぐ一男一女に恵まれました。
しかしそれもつかの間、長男・夫・姑・母親と立て続けの不幸に見舞われ、また江戸へ戻ることになります。
このとき千姫はまだ30歳程度でしたが、江戸に戻るなり出家して天樹院と名を改めました。
もう嫁ぐのはたくさんだと思っていたのかもしれません。
その後は嫁いでいった娘に子供が生まれたり、弟の子供を世話したりと比較的穏やかに過ごしたようです。

でも、ここまでの経緯を知ると、果たして大阪城から助け出されたことは幸せだったのだろうか……?と思わざるをえませんね。

長月七紀・記

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【参考】千姫/Wikipedia 国史大辞典




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