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18世紀はじめころのヴェルサイユ宮殿/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた

ジュール・マザラン死去により太陽王・ルイ14世の親政スタート!【その日、歴史が動いた】

更新日:

 

どんなに優秀な人であっても、【お金が好きすぎて】周囲の反感を買うことは珍しくありません。

それが国や周囲の人々に還元するための金稼ぎならマシなものの、自分のことだけ考えて成金状態になると、一気に暴動を起こされてそれまでの地位から真っ逆さま……なんて話はよくあります。江戸時代の打ちこわしなども入るでしょうね。

 

そういう人はさぞ悲惨な運命をたどるだろうと思いきや、乗り切ってしまう稀有なパターンもあったりして……。

1661年(万治四年)のあす3月9日、ルイ14世の教育係だったジュール・マザランが亡くなりました。

枢機卿まで上り詰めたマザラン 教皇の可能性も

肖像画だとルイ13世の宰相・リシュリュー、名前では世界初の地球一周艦隊を率いたフェルディナンド・マゼランとごっちゃになりやすく中途半端な人物……ではなく、ルイ14世が成長するまでは実質的な宰相の座にいたやり手でした。

彼ら三人の違いをまとめるとこんな感じです

・猫好きがリシュリュー、金好きがマザラン
・地球一周がマゼラン、(一時)亡命したのがマザラン

まとめると「お金or亡命の話が出たらマザラン」「ルイ13世か猫ならリシュリュー」「航海の話が出たらマゼラン」という見分け方でよいかと。
マゼランは時代がちょっと離れてるとか、発音でいくとマゼランじゃなくでマジェランのほうが近いとかいろいろありますが、こまけぇこたぁいいんだよ。

そして、マ”ザ”ランは一体何をした人なのかというと、ごくごくシンプルに言えば「絶対王政の土台作り」ということになります。本人にそのつもりがあったかどうかは別として。

マザランは元々イタリア生まれで「ジュリオ・マッツァリーノ」という名前で、あまり身分の高い家の生まれではありませんでした。
しかし聖職者への道を進み、ローマ教皇に仕えるようになると、外交的センスを買われて外交官に抜擢されます。

そして派遣されたフランスでリシュリューに「こいつ……できる!」と見込まれたためフランスに帰化し、以降フランス読みの名前で活躍することになったのです。
1641年にはルイ13世の推挙で枢機卿(カトリックのNo2。この中から教皇が選ばれる)にまで上り詰めていますから、やり方によっては教皇になっていたのかもしれません。

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カトリックvsプロテスタントの真っ最中

しかしマザランは聖職ではなく、世俗の道を驀進していきます。

リシュリューとルイ13世が相次いで亡くなった後、幼いルイ14世の教育係・摂政で母親のアンヌ・ドートリッシュの相談役になりました。そのため、マザランは正式な宰相・摂政の座には着いていないのですが、実態としては彼がフランスのNo1ということになりました。
余談ですが、「女性が王様になるのはダメ。政治に参加するのはおk」というのはフランスの王国時代最大の謎のような気がします。形式的ならいいんでしょうか。

 

ここでちょっと、フランスから見た17世紀半ばのヨーロッパ事情をざっくり見てみましょう。

東のお隣・ドイツ(神聖ローマ帝国)ではあのややこしい三十年戦争真っ最中。カトリックvsプロテスタントの争いが国家ぐるみで行われていたという面もあるこの戦いに、フランスはプロテスタント側で参戦していました。
これまたわかりづらいことに、以前はユグノー戦争でプロテスタントにさんざんアレなことをして「国教はカトリックだよ」ということになったにもかかわらず、このときはプロテスタント側についたのです。
これは宗教上の理由というよりも、神聖ローマ帝国の皇帝家になっていたハプスブルク家へ対抗するためでした。

そのため、フランスは同じカトリックの国である南側のお隣・スペインとも敵対します。
アンヌ・ドートリッシュの実家だというのにひどい話です。よくあることですが。

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共通の敵はスペイン也 イングランドと共闘す

海の向こうのお隣・イングランドとは案外協力していた時期でした。
イングランドでは清教徒革命が終わってクロムウェルがブイブイ言わせており、マザランとタッグを組んでスペインと対抗しています。共通の敵がいると人間団結しやすいってのは本当なんですね。

 

ざっくりまとめると「(フランスから見て)東側と南側で戦争中」だったわけですが、こんなことを何回も何年もやっていれば、勝とうが負けようが国のお財布はだんだん寂しくなってきます。
お金がなくなると人の取る行動は二つに一つ。手段を選ばず荒稼ぎするか、極端に出費を減らすかどちらかです。

ここで国のお財布を握っているマザラン、前者を選んだばかりでなく、なんとこの危急のときに私腹を肥やし始めます。な………何を言っているのかわからねーと思うが(ry

彼は元の身分が低かったからなのか何なのか、この頃にはお金が恋人状態で、周囲の視線などどこ吹く風になっていました。
古今東西、聖職者が欲に塗れるとロクなことがないのはもはやテンプレですね。

戦争中に内乱勃発で死亡フラグがビンビン

マザランが採った「荒稼ぎ」は、庶民や貴族への大幅な増税というごくごくシンプルなものでした。

が、「お金なくなっちゃったからちょうだいよ!見返りはナシね!!」なんて勝手な話が通り続けるわけもなく、マザランは大規模な反乱を招いてしまいます。
対外戦争やってる最中に内乱まで起きるとか、死亡フラグの予感がビンビンです。

 

まだルイ14世は少年だったので、このときも実質的な国のトップはマザランとアンヌでした。

太陽王ルイ十四世

太陽王と称されるルイ十四世/wikipediaより引用

帰化や結婚で書類上フランス人になったとはいえ、生まれも育ちも生粋のフランス人からすれば面白くありません。異国人に首根っこをつかまれていると感じた人も多かったでしょう。
これも反感が大きくなった原因といわれています。

 

「フロンドの乱」と呼ばれるこの反乱では、一時首都から国王と政治の中枢人物が追い出されるという事態に陥ります。着々と滅亡フラグが立てられるものの、マザランと国王軍はこれを乗り切りました。
マザランが自主的に亡命して反乱軍のクールダウンを促したりいろいろしたこともありますが、なぜか反乱軍が内部分裂をし始めて弱体化したというのが最大の原因です。……何を言っているのか(ry

そのうち内乱に疲れた民衆が「お貴族様方の都合とかどうでもいいっす。王様が帰ってこないとパリが荒れ放題ですなんとかしろください」という風潮を生み出し、比較的穏やかに収束していきました。フランス革命とかユグノー戦争と比べれば、の話ですが。

マザランが死んだ翌日に親政スタート!

内部分裂した後の貴族達にもはや民衆の信頼や余力は残っておらず、結果として自らの弱体化と王権の強化を招きます。

フロンドの乱が終わった頃、ルイ14世は15歳。自分の寝室にまで反乱軍がやってきたという恐怖は拭えなかったともいわれており、ヴェルサイユ宮殿建設の一因になったとも。
ヴェルサイユ宮殿の構想がいつからあったのかはわかりませんが、そろそろ自分の意見を言える年頃だったでしょうから、もしかしたらマザランに相談していたかもしれませんね。

マザランとルイ14世の関係については「国王と摂政」以外のエピソードがあまりないようなので、順調とも険悪とも言い切れません。

 

ルイ14世はマザランが亡くなった翌日に親政と摂政の廃止を宣言したため、「ウザいマザランはもういない!好きにやったるぜ!!」とも受け取れますし、生前マザランが勧めていたから親政をすることにしたともいわれているからです。

どちらにしろ、後世から見た場合マザランは「太陽王の露払い」をしたということになりますかね。

 

長月 七紀・記

 

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参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%A9%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A414%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B




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