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信長め、やったるぜ!(絵・富永商太)

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その日、歴史が動いた

上杉謙信「なぜワシに女説が流れとるんじゃ?」 酒好きの軍神に囁かれる不思議な噂

更新日:

 

「英雄色を好む」「酒色に溺れる」など、お酒や女性にうつつを抜かして身を滅ぼした人の話は、古今東西枚挙に暇がありません。
現代でもそうですが、病気の遠因になることもありますしね。

おそらく国内の知名度で一、二を争うあの武将も、実はそうした理由で亡くなっていました。

結局、おいらの一人勝ち

今日は酒飲みのオイラが主役ったい

天正六年(1578年)の3月13日、「越後の竜」「毘沙門天の化身」と称えられた上杉謙信が亡くなりました。享年49歳、死因は脳溢血だったといわれています。
他にも信長の刺客にやられたとか毒殺されたとかいろいろ説がありますが、ここではとりあえずコレで。

 

味噌や梅干しをサカナに独り酒

前年の暮れから大規模な遠征の準備を進めており、3月15日に出陣予定だったそうですから、少なくとも倒れる直前まで具合が悪いとかそういう素振りはなかったのでしょう。
9日に倒れてそのまま意識を取り戻さなかったということなので、あまり苦しまずに亡くなったのではないかと思われます。本人として予定が狂って無念だったでしょうけども。

脳溢血(脳出血)にもいろいろありますが、謙信の場合は原因がはっきりしています。お酒の飲みすぎと塩分過多です。

謙信は「馬上杯」「春日杯」というデカイにも程がある杯を愛用しており、一度に大量の酒を飲むことが珍しくありませんでした。
人と話しながら酒を酌み交わすというのがあまり好きではなく、一人で静かに飲むのが好きだったというのも、酒量が増えた一因でしょう。話し相手がいれば喉を潤す程度のタイミングにすることもできますが、一人だとぐいぐい飲み続けがちですから。

上杉謙信

絵・富永商太

さらにはその一人酒合戦中のおつまみは味噌や梅干だったというのですから、相乗効果でお酒も塩分もかなり摂っていただろうことが窺えます。
お酒の原料はお米ですし、味噌や梅干のおにぎりを違う形で飲み食いしているようなものですが、液体である分お腹に溜まりづらいので度を越してしまうことも多かったのでしょう。
呑み助にとっては耳の痛い話です。お酒は楽しくほどほどに。

 

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謙信はオンナ!と結論ありきで進めている

さて、謙信といえば最も有名かつ人気のある武将なだけに逸話には事欠きません。
中でも今に至るまで定期的に物議を醸しているのが女性説でしょう。

八切止夫という奇抜な説を提唱することに定評のある歴史作家が言い出したものですが、「これは謙信が女性だった証拠に違いない!」という結論から先に話を始めているため、信憑性はというとアヤシイものです。
とはいえ否定しきれないところがあるので、今も女性説が完全に否定されないのでしょう。

例えば「スペイン人の手紙に”上杉景勝はおばの開発した金山で利益を得ている”という記述がある。このおばとは謙信のことに違いない」という話について。
景勝は謙信のお姉さん(仙桃院)の子供ですから、謙信が女性であれば当然叔母さんになります。今のところ仙桃院の他には謙信の姉妹はいないとされているので、他に該当者がおらず謙信=叔母=女性と考えたのでしょう。

しかしこの根拠となっている”ゴンザレス報告書”なるものの所在がはっきりしないため、そもそも矢切が文章を見間違えたという可能性もなきにしもあらずといったところではないでしょうか。
スペイン語でおばは"tia"、おじは"tio"ですし、筆跡によってはaとoの見間違えは充分考えられるかと。
現物はスペインのトレド市にあるといわれているものの、ググる先生に聞いても画像すら出て来ないんですよね。謙信ファンの方は多いですし、誰か行っててもおかしくないと思うんですが。

 

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遺骨や血液から調べられないもんですかね

一番手っ取り早いのは遺骨を鑑定することですけども、謙信の遺骨が今どこにあるのかはっきりわからないようですね。
当初「鎧と太刀を身につけさせて甕に納め、漆で密封した」のはいいとして、上杉家が米沢に移った際、米沢城の一角に安置されたところまでははっきりしているようなのですが、明治維新のあたりから所在がよくわからないのです。

上杉家御廟(山形県米沢市)に移したという説もあれば、高野山のお墓に安置されたという説、分骨され両方にある説など、地元の人でも不明瞭になっているようで……これでは調査のしようもないですよね。
きちんと揃っていても保存状態が悪ければ鑑定できないでしょうし、分骨の際に改めて火葬していたら、そもそも原型が残っていない可能性も大です。
案外、これが謙信女性説についてはっきり否定されていない理由なのかもしれませんね。

……と思ったら、血判状の血液から血液型はわかっているというのですから、理系オンチにはまたワケワカメです。ちなみにAB型だそうで、ここから「AB型って変わってるよね」とか言われるようになったんでしょうかゲフンゲフン。

人の性別を決める性染色体は遺伝子の中にありますので、当然血液の中にも存在しています。つまり単純な話、血液型がわかるのなら同時に性別を調べることもできたはずなのです。しかし、そうした調査を行った形跡がありません。女性説が出る前の調査だったようなので、当時は調べるまでもないと考えられていたのでしょう。

そもそも元になった血判状の血液が本当に謙信のものなのかは立証しようがないので、どちらにせよ真相は闇の中、もしくはタイムマシンの実用化に乞うご期待というところですかね。
それまでは多分、死因や性別、主義主張についての仮説新説が絶えない武将の一人であり続けるのでしょう。

長月 七紀・記

参考
wikipedia『上杉謙信』
wikipedia『上杉謙信女説』

 

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