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その日、歴史が動いた

知っておきたい日本人が桜を好きになるまでの歴史。1300人も詰めかけた秀吉の大花見【その日、歴史が動いた】

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秀吉「まさか半年後に死ぬなんて」(絵・富永商太)

秀吉「まさか半年後に死ぬなんて」(絵・富永商太)

先月の豪雪がウソのように、少しずつ春の兆しが見えてきましたね。
となると次に楽しみなのは桜の開花。
最も有名な戦国武将のあの人も、ちょうどこの時期大規模なお花見をしています。旧暦だけど。

慶長三年(1598年)のあす3月15日、豊臣秀吉が醍醐の花見を開催しました。
秀吉が病に倒れたのはこの年5月、亡くなったのは8月ですから、ある意味死に土産ともいえます。
北野でやった大茶会は失敗(秀吉主催の北野大茶会! 人がサッパリ集まらず1日で終了 【参加者803人】)に終わりましたが、このときは北政所(ねね)や淀殿・秀頼ら近親者はもちろん、お側の女官や大名の妻たちまで集めて1300人以上もいたそうなので、実に盛大なものでした。
肝心の大名衆はほとんど慶長の役で出かけていたため、秀吉と前田利家以外は小姓か子飼いか女性ばかりというけしからん宴でもあったのですが。

秀吉「北野の時は暇だった」絵・岡本亮聖

 

昔は花といえば梅だった

ところでお花見って、いつから日本文化になったのかご存知でしょうか。
秀吉がやっているということは当然戦国時代には定着していたわけですが、その始まりは平安時代あたりまでさかのぼります。
というのも、奈良時代くらいまでは中国文化の影響が強いため、同じ「花見」でも見る対象が違うのです。中国では梅の花が尊ばれていたので、日本もそれに倣って「花といえば梅」という風潮がありました。中国文化に詳しかった菅原道真が梅を好んだのもこのためでしょう。
桜が梅より好まれるようになったのは、遣唐使が廃止されてしばらく後、日本独自の感覚が育ってきて「もののあはれ」こそが風流であるとされてきたあたりです。

これは和歌集で見るとわかりやすいかもしれません。
平安初期までに編まれた「万葉集」には桜より梅を詠んだ歌のほうが多いのですが、100年ほど後に編纂された「古今和歌集」では数が逆転しているのです。時代の流れと共に人々の好みが変わってきたんですね。

梅と桜以外はどうだったかというと、菊の鑑賞が好まれました。
しかし樹木ではなく草ということもあってか、自然に植わっているものを見るよりは鉢植えを一堂に集めて見比べるという鑑賞の仕方が多かったようです。重陽の節句とか。
桜や梅に対し、菊の花を詠んだ歌がその二つと比べて少ないのはこのためかもしれません。

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桜・菊・梅 が大好きな日本人

菊を詠んだ歌の有名どころでは百人一首29番、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)作のこれですかね。
「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おき惑わせる 白菊の花」
(適当訳)「ここには白菊の花があるはずなのだが、初霜が降りたのに紛れてしまって、どこにあるのかよくわからない。気の向くままに手折ってみようか」
貴族らしい、風流なおふざけの効いた歌です。

ついでに同じく百人一首から、桜の歌と梅の歌も一つずつ挙げておきましょう。
桜・33番 紀友則
「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」
(適当訳)「久々に晴れた良い日和だというのに……桜よ、なぜお前は落ち着きなく散ってしまうのだ」

梅・35番 紀貫之
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににおひける」
(適当訳)「あなたの心は変わってしまったかもしれないが、ここにある懐かしい梅の木は、昔と同じ香りで迎えてくれていますよ」

桜の歌は他にもあるんですけども、順番の近いところでまとめてみました。
古典で文法とか活用とか覚えさせられるとイラっとしますが、こういう具体的な物の名前が出てくると歌の意味が少しわかりやすくなる気がします。和歌だけに……失礼しました。

ええと、気を取り直しましてお花見の話です。
こうして平安時代には貴族の間で「花見=桜」の概念ができ、鎌倉時代あたりには庶民にもその影響が出ていたと見られます。
これまた教科書でおなじみの「徒然草」の137段に「皆満開の桜ばかりもてはやすが、散った後の姿も風情があるし、逆に満開の桜を頭の中で思い浮かべるだけでも楽しめるものだ」(適当概略)という記述が出てくるのです。
ということは、ある程度広い層に桜が好まれていて、花見に出かける習慣ができ始めていたということですよね。

室町時代になるともっとわかりやすく、足利義満が京都の引接寺(いんじょうじ)というお寺の桜をいたく気に入り「これをバックに狂言を見たい」と言い出して、その通り桜の時期に執り行わせたという話が伝わっています。
お寺へは扶持米(通常は武士の家族手当みたいなオマケの米のこと。ここではお寺へのオマケ)をあげていたらしいので、さすがの義満もタダで無茶振りをするほど面の皮は厚くなかったようです。
この「普賢象桜」(ふげんぞうさくら)は花びらが散るのではなく、椿のように花が丸ごと落ちるため、斬首の様を思い起こさせて罪人を改心させるのに役立ったと言われているのですが、そんなのに見入ってた義満のセンスやっぱりパネェ。(義満のセンスについては過去記事をご覧ください→将軍家を潰す三代目と潰さない三代目。その秘密を発見しまスタ!【その日、歴史が動いた】)
もっと気の毒なのは、背後でぼとぼと花が落ちるのを聞きながら演じるハメになった役者かもしれませんが。合掌。

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信長は花見あまりせず

「ワシが好きなのは紅蓮の炎じゃ」(富永商太・絵)

「ワシが好きなのは紅蓮の炎じゃ」(富永商太・絵)

ちなみに信長はというと、戦ばかりでそれどころじゃなかったからか、花見をやっても規模が小さかったのか、特にそういう記録は残っていないようです。相撲大会の記録はあるのにゲフンゲフン。

現在清洲城や名古屋城など信長ゆかりの地では桜の時期にイベントをやっているようなのですが、その桜がいつ植えられたものなのかは調べてみてもよくわかりませんでしたスイマセン。ソメイヨシノだったら確実に江戸時代以降なんですけども、写真だけだと素人目には判別不能です。

秀吉は醍醐の花見の前にも吉野で大規模な花見をやっていますので、陰に隠れてしまったのかもしれません。

ケチの家康も桜の魅力には負ける

その代わり(?)、あのドケチな家康が大御所になってから花見をしたという記録が残っています。意外ですね。

家康「人質で売られた時は桜のようにはかない人生とおもったよ」(富永商太・絵)

家康「人質で売られた時は桜のようにはかない人生とおもったよ」(富永商太・絵)

時期はハッキリしないのですが、駿府で家臣を引き連れて盛大な花見をしたそうで、これを元にした静岡まつりというお祭りが毎年4月の第一金曜~日曜に行われているとか。
大名行列を再現しているそうなので、かなり大規模にやってるんでしょうね。

時代が下りまして、これまた意外なことにドケc……米将軍こと徳川吉宗が庶民の花見を奨励していました。
なぜかというと、贅沢を取り締まったため庶民の娯楽が極端に限られてしまったので、あまり金がかからず皆共通で楽しめるものとして勧めたのです。
やっぱり金か……と思いきや、当時の江戸には上野の寛永寺くらいしか桜の名所がなかったこと、江戸郊外の鷹狩り場周辺を花見のできる場所にして経済を活性化させるためという目的が……ってやっぱり金でした。
浅草や飛鳥山公園(東京都北区)の桜はこのとき吉宗が植えさせたもので、整備が終わった際は吉宗自ら出向いてPRしたとか。将軍何してんすか。
吉宗の時代は財政問題の完全解決には至らなかったものの、庶民の怒りがあまり幕府中枢に行かなかったのはこういうこともしてたからかもしれませんね。

また、各時代を通して貴族や武士の屋敷には好んで桜が植えられていました。
しかし、明治維新の際大名屋敷の接収その他によって、名木とされていた桜も切り倒されてしまったのだとか……。「西洋に追いつけ追い越せ」の弊害がこんなところにもあったんですね。
上記のように、江戸時代まではある程度花見に関する逸話が伝わっているにもかかわらず、明治以降は極端に減ってしまうのはこのせいなのでしょう。その流れで、戦中に日本固有の桜が何種類も絶滅してしまったという話もあります。残念なことです。

それでも全国各地に桜の名所はありますし、今ではアメリカやヨーロッパでも桜の美しさが認められ、好まれるようになってきたのですから、これからはきっとまた大切にされていくでしょうね。

長月七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%8D%E9%86%90%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%A6%8B
   http://yenmado.blogspot.jp/p/blog-page_9306.html
   http://www.shizuokamatsuri.com/




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