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その日、歴史が動いた

関東大震災からの復興 「帝都復興祭」が行われる【その日、歴史が動いた】

更新日:

 

日本が災害大国だというのは自他共に認めるところですが、中でも江戸時代あたりからの東日本ときたら、飢饉や火事などで壊滅していない時期のほうが珍しいほどです。
東日本大震災はもちろんのこと、3.11までは関東大震災や明治三陸地震など、やはり地震による被害が長く語り伝えられてきました。
しかし、その一方で復興へのあゆみやその後どうなったかということは意外に知られていないですよね。
東北のあれこれにも役立つのではと思いますので、簡単ではありますがまとめてみたいと思います。

昭和五年(1930年)の3月24日、関東大震災からの帝都復興祭が行われました。
帝都とは東京のことで、なんでこんな仰々しい呼び方をしていたのかというと、当時の国号が「大日本帝国」だったからです。桜の名前を冠したヒロインが出てくるゲームの主題歌で有名になった感がありますね(古い?)

「記念」=お祝いではありません

関東大震災の原因となった大正関東地震が起きた日付は「防災の日」(9月1日)として記憶されていますが、なぜかこの復興祭のことはあまり知られていません。先日A総理が「3月11日を記念日に」と言っていたのは、恐らく「防災の日と同じように何十年・何百年後も3.11が忘れられることのないようにする」という狙いでしょうね。もしかしたら復興祭のことも念頭にあったのでしょうか。
なぜかお祝い事と勘違いした人が多かったようで、某所では猛反発をくらっていましたが、本来”記念”という言葉にはめでたい意味はないので、これまた説明不足というか意味の取り違えというか世論とのすれ違いというか。

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震災と地震どうちがう?

ついでに”震災”と”地震”の使い分けについてちょっとだけ解説しておきましょうかね。
”地震”は地震そのもののこと、”震災”は地震によって起きた諸々の災害のことを指します。
ですので、”関東大震災”といった場合は地震によって起きた火災旋風や建物の倒壊とその被害などを指し、”大正関東地震”というとその原因になった地震そのものを指すわけです。
見たまんまですが「アレ?」と思う人もいそうなので書いてみました。ノ

関東大震災の被害については広く知られていますので、ここでは割愛させていただきます。
ご存じない方はウィキペディア先生に……と言いたいところですが、被害者のご遺体の写真があるため、耐性のない方は避けたほうがいいかもしれません。ウィキペディアでは戦争関連の記事でもいきなり出てくることがあるので、正直勘弁してほしいものです。折りたたまれている記事もあるんですけども、イマイチその基準がよくわかりません。
本当は目を逸らしてはいけないことなんですが、ね。

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関東大震災のとき総理大臣がいなかった

では、そろそろ復興のお話に入りましょう。
実は関東大震災が起きたとき、日本は首相不在の状態でした。それまでの総理は加藤友三郎という人だったのですが、約一週間前に亡くなっていたため、別の大臣が兼務していたところだったのです。神様も意地悪なことをするもんだ。
それを言ったら、江戸幕府ができてから江戸・東京が壊滅したのもこれで何度目だよという話ですが。戦中を含めればもっとですし。

首相不在、あまりの被害の大きさで報道機関もストップ、あっちこっちで火災と建物の倒壊により死傷者が続出……というヘタをしたら国が滅びるほどのこの難事へ対応した中心人物は、内務大臣の後藤新平でした。写真だと新渡戸稲造に良く似てますがまあそれはどうでもいい。
彼はナポレオン3世がパリを改造したときの計画を参考にし、「東京もパリみたいに区画整理をして、道路を放射状に延ばしましょう」という壮大な復興計画を立てました。が、国家予算1年分の資金が必要になることが判明し、猛反発を食らって断念しています。
結局当初の予定の半額以下で復興計画をやり直すことになりましたが、このとき昭和通りや靖国通りなど、現在の都心で大きな役割を果たしている道路が作られています。

遷都はせず!

特にこだわったのは、「遷都をしない」という点でした。
江戸幕府がなくなってまだ半世紀ほどでしたし、後藤本人を含めてあちこちの藩士出身の役人や軍人は多くいました。もちろん血筋として徳川家も残っていますから、そこで徳川家の象徴だった江戸城(皇居)を空けてしまうと、また不届き者が寄り集まってよからぬことをしないとも限りません。いつの時代も懐古主義どころか頭の中の時間が止まってる人はいますからね。
新都整備+震災処理をするとなると、さらに資金が必要になるという理由もあったでしょうけども。

ですので、後藤はあくまで東京を災害に強い街にするべく、さまざまな工夫を凝らしました。
上述の大通りを始めとした道路の建設、区画整理や新しい橋の建設はもちろん、公園の新設や小学校の耐震及び耐火工事によって避難所を確保することなど、現在もその多くが受け継がれています。
地主さん方の反発もあり、決して順風満帆とは行かなかったようですけども。

復興を「お祝い」する

復興資金については、世界各国からの支援も大きな助力となりました。
第一次大戦で日本軍の活躍を見ていたアメリカや、同盟は失効したものの同じく第一次大戦で協力させた手前無視できなかった(っぽい)イギリス、お隣中国(中華民国)からはラストエンペラー・溥儀から膨大な支援金その他諸々が送られています。
もちろんその他の国も惜しみなく援助をしてくれました。いつの時代もこうした支援はありがたいものですが、この数年後には第二次大戦が始まってしまうのかと思うと、歴史の皮肉や残酷さを感じますね。

こうした内外の協力の末にできたものでしたから、無事復興が終わった暁には盛大に祝うのが筋です。
昭和天皇ご臨席の式典、ダンスパーティーや演奏会、映画上映など文化的なものはもちろんのこと、外国の方も参加してのスポーツ大会も行われ、「帝都復活」を国内外に示すことになりました。
海外メディアにも取り上げられたようですが、残念ながら記事を見つけられませんでした(´・ω・`) 第二次大戦中に処分されたか散逸してしまったんですかね……。

記念日を作るかどうかはまた別の話として、東日本大震災についても、いつか全ての問題にカタがついた日にはこのように盛大なお祝いをしてもいいのではないでしょうか。
今のところまったく目処が立たないあたりが何とも言えませんが、一日も早くそうなることを祈っております。

長月 七紀・記

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参考:http://japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0088.html
   http://www.nikken-ri.com/forum/HP/296.pdf
   http://ja.wikipedia.org/wiki/




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