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タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

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その日、歴史が動いた 災害・事故

悲劇の処女航海 タイタニック号が大西洋に沈んだ日

更新日:

 

辞書には対義語として載ってはいませんが、「絶対」と「偶然」はほぼ真逆の単語として扱っても良いような気がします。
ホラー小説などで「絶対に大丈夫」と言った人物がその後あっさり死んでしまったりしますよね。まあこの場合は作家さん側の意図があるというか、お約束みたいなものですが。
しかし、小説に対する作家のように、現実では神の悪ふざけにも程があるとしか思えないような出来事も数多く存在します。

1912年(明治四十五年)のあす4月10日に出航した、当時最大級の客船タイタニック号の話です。
出航した日に沈没時の話をするのもなんだかなあという気がしますが、この船が有名になったきっかけは事故のほうなので仕方ない。

タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

といっても沈没の件ばかりだと誤解だけが広まりそうなので、まずはどういう航路を取っていたかからお話しましょうか。
タイタニックはイギリス中部の町・サウサンプトンから出航。対岸のフランス・シェルブールと、アイルランドのクイーンズタウン(現在はコーヴ)に寄港した後大西洋へ出て、ニューヨークへ行くことになっていました。
1997年に公開されたレオナルド・ディカプリオ主演映画の冒頭でも語られていましたね。

10日出発 15日に沈没

ニューヨーク到着予定は17日、沈没してしまったのは15日の深夜ですから、事故までの航行は順調だったことがわかります。
そのため、沈没した位置も大西洋のど真ん中よりはややアメリカ寄りでした。

ちなみに、再来年の2016年にタイタニック2号なる船が就航することが決定しているそうです。しかも全く同じ航路で。
となると沈没現場も通ることになると思われますが、何かしら慰霊イベントのようなことはするのでしょうかね?
他のメモリアルクルーズではやっているようなので、おそらく倣うのではないかと思いますけれども。
ボートの数以外はかつての作りを再現し、既に”中国の”造船会社へ発注済らしいです。大丈夫かホントに。
それはさておき、映画の影響でこの船と事故について真実か虚構かという意見が大幅に割れている部分がありますので、ここからは上記の映画と絡めて話を進めていきましょう。
これですね。

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久しぶりに映画をみたら新しい発見が!

 

もう17年前の映画ですし、ネタバレには配慮しなくてもいい……ですよね?
ワタクシめも久しぶりに見たのですが、3時間超だったことや「このシーン車内だったの!?」「こんなに人を殴るシーンあったっけ?」という新しい発見がありました。ただ単に忘れてただけですが。

この映画においてフィクションかノンフィクションかという点を見極めるには、登場人物が主要であるかどうかを意識すると良いと思います。
主人公ジャック、ヒロインローズを始めとした「登場シーンの多い人物」ほど映画オリジナルの人、つまり実在はしていない人物です。”本当のパーティー”に出てきた人たちもですね。
反対に、ちょいちょいとしか出てこない船長さんや多くの船員さん・乗客の一部には実在の人物が多く、劇中ではほとんど名前を呼ばれることはありませんが、エンドロールではきっちりクレジットが書いてあります。

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乗員 乗客 その他の3つのグループでみる実在した人びと

多分主役二人にフォーカスするために名前を出さなかったのでしょうが、ちょっと寂しいですね。
ですので、歴史サイトの一コーナーとしてはやはり実在した人物のほうを取り上げていきたいと思います。
タイタニックには大きく分けて乗員(船員)・乗客・その他の人々の3つのグループがいました。
「その他ってなんぞ」といいますと、タイタニックには設計者や船を持っていた会社の社長なども乗っていたのです。純粋なスタッフともゲストとも言い切れない気がするので、このように書かせていただきました。

乗員はスミス船長をトップに、ワイルド航海士長とその下についている1等~6等の航海士、機関士、通信士、見張りの人々など。

乗客には貴族階級の人、新興成金、一般人などまさにありとあらゆる人がいました。

映画の中でも強調されていた通り、沈没時救命ボートに乗ることができたのはほとんど女性と子供です。最近まで生存者が存命していたことを考えれば納得ですね。

生還できた船員は2~5等の航海士だけ

それは船員も例外ではなく、ボートを指揮するために乗り込んだ人以外はほとんどが事故現場で亡くなっています。
はっきり個人名がわかっている中で生還した船員は、2~5等の航海士だけでした。

女性と子供があらかた避難した後、ボートに乗れるのは上流階級優先になっていったそうなのですが、身分ある人の中には自ら船と運命を共にした人もいました。中には夜会服(燕尾服・タキシード)に着替え、「最期まで紳士らしくありたい」と言っていた方もおられたとか……。
また、設計者トーマス・アンドリュースも逃げようとはせず、喫煙室で空を見上げて船と運命を共にしようとしていた様子が証言されています。
船会社の社長はボートに紛れ込んで逃げました。あーあ。

転覆恐れず救援に向かった女傑

タイタニック号の避難ボート(Wikipediaより)

タイタニック号の避難ボート(Wikipediaより)

一方、ボートに乗った女性たちの中では「アテクシは助かって当然」と考える人と、「せめてもう少し人を乗せられないのか」という人に分かれたそうです。
意外なことに、この差は身分によるものではありませんでした。
前者はコズモ伯爵夫人、後者はロテス伯爵夫人とマーガレット・ブラウンという名前が伝わっています。

後者のマーガレットは後々”不沈の女モリー・ブラウン”と渾名され、生涯を映画化されているのでご存知の方もいらっしゃるでしょうかね。
上記の映画で、上流階級の作法に慣れないジャックをいろいろサポートしてくれていた人です。
ロテス伯爵夫人はマーガレットと同じボートに乗っていたはずなのですが、この映画でははっきり登場していませんでした。
史実では彼女たち二人が音頭を取って、同乗した女性達皆でオールを漕ぎ、ボートを数キロ戻したそうです。
ちなみにそのボートを指揮していた船員は大反対だったとか……まあ、自分の命惜しさの他にも、せっかく助かりそうな人を犠牲にしたくなかったのかもしれませんしね。
彼もプロですから、このような状況で戻れば、ボートに誰も彼もがしがみついて転覆することも予想していたでしょう。一見非道なだけに思えますが、より確実に生存者を増やすためであれば間違ってはいないのではないでしょうか。
しかし、彼女達がボートを戻させたときには時既に遅し。
ほぼ同時と思われる頃に別のボートが救助に行っていたのですが、彼らが助けることができたのはたった3人。取り残されたほとんどの人は低体温症(いわゆる凍死)や心臓麻痺で亡くなっていたからです。
4月とはいえ、氷山があるような真夜中の大西洋。当時の海水はマイナス2度だったといわれていますからね……。

そして戻ってきたボートが諦めて帰った後、近くを通りかかった別の客船により奇跡的に2名が救出されました。片方はドアだったと思しき木材に捕まっていたそうなので、おそらくこれが映画の元ネタでしょうね。ソースがはっきりしないため断定はできませんけども。
避難ボートの多くは救助に向かっていた客船カルパチア号に収容され、最終的には700人以上の人が助かりました。
沈んだ船のほうは今も同じ場所に眠っており、客室の調度品の一部は当時と全く同じ位置に置かれているそうです。
しかし、付近に生息するバクテリアにより、あと100年以内には完全に崩壊してしまう見込みなのだとか……。
それまでに事故の本当の原因がはっきりわかれば良いのですが、残念ながら調査よりも遺品の転売等のほうが盛んなようです。向こうには罰当たりって概念がないですからねえ。

生還した船員たちの「その後」

タイタニックの悲劇性や謎めいた事故原因、船と共に亡くなった人々の使命感や熱意については比較的よく知られていますので、ここでは生還した船員達の「その後」を少しだけご紹介しておしまいにしましょう。
上記の通り、生き残った航海士は4人いました。
期間の差こそあれ、全員がその後も船での仕事を選んでいます。

・ライトラー2等航海士

タイタニック事故時には転覆した避難ボートを持ち直させる、イギリス海軍に入った後の第二次大戦では130名もの友軍を救出するという離れ業をやってのけた方です。
また、タイタニックの一等航海士だったマードック氏について不名誉な報道がされたとき、他の3人と連名でマードック未亡人へ真実を伝える手紙を書いています。
まさに正義感が人の形をしたような人物だったといえるでしょう。

・ロウ5等航海士

唯一救助に戻ったボートを指揮していた人です。映画のラストシーンそのままの行動を取った、勇気ある人物でした。
第一次大戦のときはイギリス海軍に所属していたそうですが、第二次大戦までの間に船を降りています。
しかし世間に無関心だったわけではなく、自らの家を提供してボランティアをしていたそうです。
とても口の悪い人だったという話もありますが、性根は優しかったのでしょうね。

・ボックスホール4等航海士

彼もロウ氏と同じく、救助に戻ろうとしましたが乗客の反対にあい、断念せざるを得ませんでした。
その代わり、少しでも生存率を上げるべく照明弾を何度も打ち上げていたそうです。このおかげでカルパチア号は到着後すぐに救助を始めることができたとか。
生還後は客船で働き続けましたが、自分の船を指揮することはありませんでした。これは他の生還した航海士も同じです。
亡くなった際は「タイタニックの沈没場所に散骨してくれ」と望んでおり、その通りの場所へ葬られました。

・ピットマン3等航海士

ボックスホール氏同様、救助に向かおうとしたのを反対されて断念しています。
同乗したボートの人に帆布をかけてあげたりと、細やかな気配りのできる方だったようです。
しばらくは航海士を続けていましたが、年を重ねて視力が衰えてからは客室担当として働いていました。
職種は変わったものの70歳の退職まで船にいたので、4人の中では最も長く船員でありつづけたと思われます。
どの方も「海の男」としてのプロ意識を感じさせる後半生ですね。
おそらく事故で亡くなった人の中にも、こういう方がたくさんいたのでしょう。
いつ起きてもおかしくないのが事故ですが、やはり起こらないことを祈るばかりです。

長月七紀・記

 

※本誌記者・takosaburou氏執筆の【102年前のタイタニック号沈没でも二転三転していた遭難報道】もよろしければ御覧ください。

※タイタニック号の「お客さん」の生存者のその後はこちらの記事 タイタニック号遭難、生存者の「その後」もどうぞ

 

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/タイタニック客船
   http://www2.tokai.or.jp/bpanther/titanic7.html
   http://www.cnn.co.jp/business/35028882.html
   http://www.titanicjp.com/index.htm

 




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