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”奇跡の人”はサリバン先生のことだった? アン・サリヴァンとヘレン・ケラー

1866年4月13日、ヘレン・ケラーの恩師であるアン・サリヴァンことジョアンナ・マンズフィールド・サリヴァン・メイシーが誕生しました。

日本では慶応四年にあたります。
幕末ごろの人というとちょっと妙な感じがしますね。

お弟子さんが目・耳・声の三重障害を持っていたため隠れがちですが、サリヴァン自身も障害を抱えていました。
幼い頃にかかった眼病のため、目が見えなくなってしまったのです。

母親を亡くした上、さらに弟の死と失明の時期が重なったため、一時は食事を拒むほどの絶望の中にいたこともありました。

しかし入院先の看護婦に励まされ、少しずつ希望を取り戻していったのだそうです。

後に手術を受けてある程度の視力は回復したものの、通常の明るさでも眩しいと感じてしまうため、常にサングラスを使っていたとか。
彼女の写真が何枚か現存しているのですが、撮影時はかなり辛かったのではないでしょうか。

積極性を取り戻した彼女は勉学に励み、さらに友人を得て大きく成長していきます。

この友人はローラ・ブリッジマンという女性で、視覚と聴覚の二つに障害を抱えており、それを克服したこれまたスゴイ人でした。
ローラとの交流、そして自身の障害が後々ヘレンの指導に役立ったといわれています。

 

ヘレンの家庭教師に

卒業生総代を務めるほどの優秀な成績で卒業した後、アンは電話の発明者であるアレクサンダー・グレアム・ベルの紹介により、ヘレンの家庭教師になりました。

水を手に注ぎながら指文字を示し、
「water !」
と認識させた話が有名ですね。

二人の話をする上で必ず語られるエピソードですが、これはアンが来てから一ヶ月程度しか経っていなかった時期のことだそうです。

相性の良さやアンの有能さ、ヘレンが本当は優れた感性を持っていたことなど、いろいろ要因が重なった上での「奇跡」といえるでしょう。
この逸話を中心とした戯曲の邦題も”奇跡の人”ですよね。

おそらく9割以上の日本人が「あんなに障害を持っていたヘレンはスゴイ。奇跡の人というに相応しい!」と思っているでしょうけれども、実は原題からするとちょっと語弊があります。

 

奇跡の人の主役はアン先生?

原題はどんな感じかといいますと、”The Miracle Worker”なのです。

この時点で働いていたのは誰か?
と考えると、自然とどの人を指しているかはわかりますよね。
奇跡が起きた対象はヘレンですが、そのきっかけを作ったのは間違いなくアンなのですから。

その後へレンも世界中の人々のために活動しているので、全く違うかというとそうとは言い切れませんけれども。

アンは50年近くヘレンに教え励まし続けたため、生涯をたどるとほぼヘレンの一生と重なってしまいます。
そのためか、各所の記述でも彼女自身のことは概要程度のあっさりしたものしかありません。

最も側にいたヘレンがアンの伝記を書いているので、それ以上の資料が存在しないと見ることもできますかね。
後世の人間としてはアン自身がどう思っていたかを知りたいものですが、本人が日記を焼き捨ててしまったそうなので仕方ないといえば仕方ないのかなあという気もします。

ところで、アンは教員資格を持ってはいませんでした。

しかしヘレンが生涯を通じて「先生」と呼び親しんだのは彼女ただ一人でもあります。

世間一般で言われる高等教育や資格よりも、アンへの敬意や感謝がそうさせたのでしょう。
やれ資格資格と騒がしい世の中ですが、敬われる人には資格よりも「心の視覚」が備わっているのかもしれませんね。

長月 七紀・記

【参考】
アン・サリバン/wikipedia

 



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